欧米の調査発展史(1)

VRDigest編集部
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※本記事は1986年に発刊したVR Digestに掲載されたものです。

 いま、調査界は大きな転換期にあるといわれています。その意味で今まで調査がたどった歴史的道のりを顧りみる必要があります。

 そこで欧米とくに米国を中心に調査手法の発達史をシリーズでとりあげることにしました。

ヨーロッパの調査発展史

英国では、遠く昔から行政府が、課税賦役その他行政上の目的で、人口台帳を調査により作りあげていた。しかし、社会福祉と社会科学の両面から、社会調査の仕事がはじめて大きな意義をもつようになってきたのは、19世紀になってからであった。社会、経済それからこれらと結びついた社会の種々相をじかに調査分析した結果が「ヤーマス(英国の漁港)についての「解説」・(The Description of Yarmouth)という題目で報告されたのは1819年のことである。

フランスではFrederic Leplay(社会改革論者で経済学者)が欧州各国の労働者数千の家計を調べ、1855年にこの調査結果をまとめた「ヨーロッパの労働者」(Les ourriers europens)という全六巻の著作を発行した。彼はこうした研究から社会機構に関するいくつかの理論を見つけ出すとともに、この調査を利用して社会改革の必要を大いに唱道しようと試みた。

その後英米で専ら行れるようになった社会調査の型をはじめて企画実施したのはCharles Boothといわれている。1886年彼は、経済的及び社会的にみたロンドン市民生活を広範囲に調べて、貧困・悲惨・墜落の境涯と定収入又は、割合に気楽な生計との比較を数字で現わし、又それぞれの階層が凡そどんな生活をしているかを説明しだ。この調査はそれ迄のものとは違ってずっと理解しやすいものであった。即ち、極めて多方面のロンドン生活が包含されるとともに、情報の収集と用語の定義にもより変化に富み、客観的でしかも合理的な方法がとられた。

この調査には、多くの寄宿生を使ってロンドン市内各地区の家々を訪問させたが、ブースはその助手の社会調査家達と一緒に、これら数百の面接員を引見した。こうした会合で得られた知識は、職業・住居の間数・子供の数・同居者等に関するものから、面接員各自の主観的の印象をも含んだものであった。

彼の報告は「ロンドン市民の生活と勤労」(Life and Labour of the people in London)という全17巻の大著で、1892年から1897年の問に発刊された。ブースの調査にならいしかも「貧困」という言葉に更に厳密な定義を加えた上、イングランドのヨーク市の労働階級の状態を調べたのはB.Seebohm Bowntreeであったが、この調査結果は1901年に発表された。引続き20世紀のはじめの40年に払英国の諸都市でいろいろの調査が行われている。中でもBowley(ロンドン大学の統計及び経済学者)の行った調査は、調査する人々を選ぶのに科学的サンプリングの理論を適用した最初のものであった。1912年、英国のリーディングの公共団体の指導者がボーレーを訪れ「同市の労働階級の労働状態を調べたいが、最も金をかけずにやるにはどうしたらよいか」と意見を求めた。そこで彼はきまった費用とその他の限られた手段で最もすぐれた調査結果を得るには、ただ純粋なサンプリングの方法によるほかはない。そしてそれにほ各町毎にアルファベット順に並べてある住居のリストを使用してn番目にある住居を順々に1つずつ選んでゆく方法をとったがよいとすすめた。

標本調査の方法をはじめて提唱したボーレーは、1912年から1914年の間に、英国内の5つの都市で調査を行い、それから10年後に同じ5都市で同様の調査をくりかえした。こうして「同じ調査を、同時に各地で行い、又時をちがえて同地区で行う平行調査」の規準となる理論と方法が彼の手で始めて確立、応用されたのである。引き続きJonesやFordが英国の各地で実施した調査も、全く、ボーレーがはじめた方法によったものであった。

1928年、ロンドン大学の経済・政治科学両部のメンバーで、ロンドン市民の生活と勤労状況に関する、新しい調査が行われた。この調査は、ブースが確立してその後の発見で修正された方法によったもので、その結果は、1930年から1935年の間に、全九巻の報告書となって出版された。その一冊には、交通機関・ラジオ・映画・教育施設・社会事業等の発達が、国民の毎日の生活に起した変化の概略を述べている。この中で最も興味のあるのは、貧困と、貧困をもたらす条件を調査して得られた調査方法と結論を示した2冊と、貧困の分析を含んだ2冊である。

英国では1928年以来、ともかく一貫して調査が行われてきた。勿論、それぞれの調査を指導した人は異なり、又それぞれの範囲や価値にも甚しい差はあった。あるものは、不景気地帯とか新興地域とかいうよ'ぅな、調査地域を特別に問題とし、又あるものは、住宅・失業、生活標準と栄養の関係・知識程度と子女の数というような社会生活の諸相を取りあげて、その中の1つか2、3だけを調査したものであった。(David C.Jones:"Evo-lution of the Social Survey in England since Booth"American Journal ofSociology1941.)

1937年にはMass Observation(大量観察)という標題の下に、英国人の習慣・生活・意見を調査しようという興味ある試みが始められた。この計画に参加しようと、あまねく英国の各地から多くの調査員が志望してきた。生活や職業を異にする37人の調査員は、ある定まった1日、即ちその年の2月12日に、自分達が考えたり、見たり、話したりしたことを残らず記録して送ることを命ぜられた。送られたこれらの記録は、総合分析されて発表されたが、この実験に対して示された関心が異常に高かったので、この方法が、その後もずっと毎月12にきまって続行されることになった。そしてこの最初の年の終りまでには、総計1、000人に及ぶ志願調査員から報告がくるという盛況を見せた。この調査のことを書いた中で、Willcockは、戟争(第2次世界大戦)の初期には、1、500人の調査員を登録して戦時下の国民生活に関係のある問題を観察・記録してもらうことになった。と述べているが、都市からの疎開、配給、消費と貯蓄、プロパガンダ、その他戟争と関連したいろいろの問題がこの調査の対象項目であった。

 War begins at home-1940(国内でほじまった戦争)は、これらの調査で生れた出版物の1つである。更にこの多数者による観察調査では、芸術・スポーツ・映画・宗教・ジャズ・購買習慣・星うらない・平和主義というような方面の問題もとりあげられた。

1942年には志願調査員を使う他に、世論調査のために特別の訓練をうけた、15人の専門調査者で職員が組織されたが、彼等は、全く客観的な観察のテクニックで補われた優秀な面接と世論収集のテクニックを充分発揮して調査にあたった。かくして、1947年には多数の観察者で仕上げた3つの調査について、興味のある概要が発表された。即ち、Puzzled people(苦境の国民)、Peace and the public(平和と民衆)、Exmoor(エクスムーア)の3つであるが、これらの調査は、宗教・戦争と平和、地域的の社会生活に対する、一般の態度をとりあつかったものであった。(ね)

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