欧米調査発展史(5)

VRDigest編集部
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マスメディア調査

 マーケティング・リサーチ歴史のはじまりは、1911年チャールズ・C・パーリンがカーチス出版社の調査部長に就任した時をもってそのはじめとされている。マスメディアとしての雑誌・出版の調査研究がはじめられたわけである。

 マス・メディアの社会的影響については、すでに20世紀の初頭から、社会科学者の間で研免調査が行われていた。この種の調査のもっとも代表的な例としては、1920年代に、ペイン資金(Payne Fund)によって実施された「映画の青少年におよぼす影響についての調査」であろう。

 この調査では、映画の青少年におよぼすインパクトを測るために、いくつかの方法-すなわち、エッセイ・コンテスト、インタビュー、心理的実験、内容分析などが採用され

た。これらの方法は欧米でもまだ、ラジオ・テレビ、漫画本などの影響調査に用いられている。

 その後、1922年、ラジオの出現は、アメリカの世論調査研究者たちを強く刺激した。そして1937年プリンストン大学のラジオ調査研究室が設立された。これは、その後にコロンビア大学につくられたものと同じように、ロックフェラー財団の援助によるものである。

このプリンストン・グループの行なった活動の中には、ラジオ調査の面接質問と実験の方法を評価し、改善してゆく種々の調査研究が含まれている。これらラジオのおよぼす社会的影響の一連の研究は、新鮮な調査結果をもたらした。これは、一種の世論調査法に基づいたものであったが、番組内容の分析やインタビューを併用して、マス・メディア調査の1つの定型を開発したのであった。このプリンストン大学の研究は、後に、1938年コロンビア大学応用社会調査研究所のP・ラザースフェルド教授の調査によって継承された。

 この応用社会調査所、ラジオ調査部では心理学的調査を集中的に実施した。例えば人々の投票習慣に対して、ラジオが新聞雑誌に比べてどの程度の影響力をもつか?誰か地方の小放送局の放送を聞いているのか?ラジオの時事放送や広告放送がどの程度人々に満足を与えているのか?またどの程度ラジオが人々の生活習慣を変え、農家の人々の型を形成しているのか等の諸問題について調査している。これらの調査はラジオの聴取慣習を明らかに分析したものとして有名である。

「プログラム・アナライザーによる調査」

 ラジオ番組のどんな点が聴取者にアピールしているのかという問題については、コロンビア大学のラザースフエルド教授はプログラム・アナライザーを開発し調査をはじめている。この装置は回答者に番組を聞きながら好いと思ったときは緑、悪いと思ったときは赤のボタンを押してもらい、好くも悪くもない場合にはボタンを押さずにいてもらう。これらの操作でその番組に対する反応を記録するわけである。各番組に対する反応記録はこれらの操作によって行われるが、このプログラム・アナライザーの登場・機械による調査の進展は、その後のマーケテイング・リサーチ、マスメディアの調査に大きな転換と影響を与えることになった。こうした調査法の発達は、間接的ではあるが、1930年代と40年代初・期、すなわち第2次世界大戦の直前からその戦時中にかけその政治的、社会的情勢を反映しているといえよう。

モチベーション・リサーチの開発と発展

 当時世界各国では、巧妙な大衆動員の宣伝の道具として、マス・メディアのあらゆる機能が戦略的に操作されていた。しかし、第2次世界大戦が終った後も、大衆宣伝に対する関心は、衰えるどころかさらに高まっていった。戦時中に発達した大衆宣伝の理論と方法が、日常生活の経済競争に活用されたからである。それに伴って、世論調査の力点も変容していった。

 それは、「人々は何を考えているか」という現象的な記述方式から、「人々はなぜそのように考えるか」という動機づけ(motivation)を調査するモチベーション・リサーチへと移行していったのである。これは1942年第2次世界大戦中に、ハロルド・ラスウェルとその協同看たちが、政治宣伝の分析に心理学的概念を応用した研究から出発した方法なのである。

 このようにして、マス・メディア、とくにラジオ番組の影響は、臨床心理学と心理分析の視点から観察され、分析され、調査されるようになった。

 L・Lサーストンを先駆とする、社会心理学者のコミュニケーション効果の研究は、やがて1940年代カール・ホヴランドやサミュエル・ストッファーらの行動心理学にもとづく実験的方法によってモチベーション・リサーチは大きく発達した。

 すなわち、一般大衆が電波メディアに接触する行動を非常に密度の高いグループインタビュー(集団面接法)やディプスインタビュー(深層面接法)によってとらえ、しかもその回答者の性格や動機なども総合して記述するという調査が行なわれた。さらに現在も使用されている、いわゆる投影法(projective technique)も考案され調査技術が進歩していった。こうした社会心理学を応用して、媒体価値を測定する理論と方法は、映画、ラジオ、テレビなどの発達と対応して、しだいに発展していったのである。

「ラジオ聴取率調査パルス(The Pulse, Inc)のケース」

 アメリカにおいて1922年のラジオ媒体の商業放送の開始、ラジオのネットワーク化の進展は、新しい広告媒体の地位を高め、調査技術にも新しい展開を生みだしていった。

 パルス社は1941年以来、ラジオ聴取率調査を個人面接法により実施するようになった。この方法はラジオ番組のロスクーを見せ助成想起法により聴取率調査を行うものであった。この調査は、面接をはじめる前に放送される番組の15分ごとの目盛の記入されている番組ロスターをみせ質問するもので、たとえば午後の調査では午前中の聴取番組について回答を求める。そして夕方には、その午後に聴取した番組、夜には夜間番組についてそれぞれ日記式に調査するというものであった。調査は毎月、最初の週について実施され、その集計、報告書は、その約1カ月後に発表するというものであった。

 その後1948年、アメリカで商業化のテレビ放送は開始されたが、テレビ視聴率調査でもこのテレビ番組のロスタ一による日記式調査法を基に視聴率調査が実施された。

 パルスの視聴率調査(1)「調査の時間どりが自由で他の調査法より費用が安価であること。

(2)電話調査では不可能な早朝や深夜の視聴状態がつかめること。(3)日記式による質問票で詳細な項目がもりこむことができ、視聴者の階層別分析ができるなどの利点もあった。しかし一方、インタビューの際、回答者の記憶に個人差が出たり、あるいは画一的に回答に終始するなどの欠点もあった。

「メータ調査機械の登場と視聴率調査」

 ラジオ聴取率調査で全米で歴史的にもっとも古いのは1929年のクロスレイの調査とCAB(Co-Operative Analysis of Broadcasting)であった。しかしこの2つのうちクロスレイ調査は実験調査にすぎず、2、3年で停止してしまい、またCABも1946年に営業をやめてしまった。これにかわってニールセン社やARB社などがテレビ放送の本格化から大きな発展をとげるようになった。

「ニールセンのオーディオメータ、機械の登場」

 ニールセン(A. C Nielsen Co.、)社のラジオ聴取率調査に「オーディオメータ」の機械調査が登場することになった。この機械装置は、元はマサチューセッツ工科大学(Massachusets Instituete of technology)の技術者が発明したものだが、1936年、ニールセン社はこの機械装置の権利を取得した。その後この装置の改善、改良を行ない、1942年その実用化に成功し、1943年「オーディオ・メータ」と命名しラジオ聴取率調査が開始された。このオーディオメータをラジオ受信機に取りつけると、ラジオのスイッチを入れたり消したりする度にダイヤルを合せたラジオ局が刻々と記録できるような仕組になっていた。毎月担当の回収員がオーディオメータを取りつけた各対象世帯を訪問し、記録テープ(幅3インチ100フィート)をとりはずし、新しいテープに取り替えるといった作業を行ない記録テープを解読、集計して聴取率が算出された。

 こうした機械装置が調査技術に導入されたことは画期的なことであり、やがてテレビ放送の出現により一層調査事業の拡大化をもたらすようになった。

「テレビ放送の開始と視聴率調査の発展」

 アメリカで1928年(昭和3年)最初のテレビ実験放送が行なわれ、1939年にはテレビ放送が定期放送されるようになった。しかし本格的なテレビ時代は、第2次大戟後、1948年商業放送として三大ネックワークの放送開始によって幕あけを迎えた。

 広告媒体としてラジオ媒体は繁栄期さらにテレビという巨大メディアの創成期であった。テレビは人類社会がもち得たマスメディアとして急速な発展を遂げた。

 ニールセン社はテレビ時代に合せて、オーディオ・メータをラジオだけではなくテレビ受像機にも設置した。それはオーディオ・メータを調査対象世帯のラジオ・テレビセットにとりつけ、ラジオ、テレビの両方を単-の方法で測定するものであった。メータは1日24時間自動的に働き、そのセットの受信している波長、またはチャンネルを連続的に記録する。記録されたテープあるいはマイクロフィルムは調査世帯から2週間ごとに送られる。このテープはそれぞれ解読・集計・分析され、放送局別、番組別に視聴率が算出された。こうした放送番組を追って切りかえられて行くスイッチの動きを連続的にすべて記録することは、視聴者の噂好の流れを毎時毎分、精密にたどりながら長期にわたって週単位の視

聴動向を具体的に比較検討することを可能にさせたのであった。

「ARB(American Research Bureau)の革新的視聴率調査」

 アメリカにおいて、巨大メディアとして発展、成長をするテレビメディアに新しい調査テクニックを開発したのがARBであった。

1949年創立されたARB社は、1958年、アービトロン(Arbitron)方式といわれる電子装置による視聴率調査を実現させた。この方式はARB社内にアービトロン装置と調査対象世帯のテレビセットに付設された電子装置が電話回線を通じて直結されている。そして各世帯でテレビのスイッチをひねったり、チャンネルをかえると即時に電話線を通じてARBのアービトロン装置に電送され、自動的に記録される方法であった。この実状は、ARB社内で自社提供のTV番組の映っている受像機と並んでいる告示板の上に各世帯の視聴状況が電光フラッシュで表示され、そしてその表示の移り変わって行くのを見ることもできる。このアービトロン装置は各世帯の視聴状況を自動的に解読、集計され、タイプ印刷で視聴率レポートができるという仕組みになっている。この自動即時調査方式の開発は、視聴率調査にとってまさに革新的な方式であった。

 このアービトロン自動即時調査は、各過ごとの番組別視聴率を算出し、さらに放送局別と時間帯別についてレポートされ、放送会社をはじめ広告主、広告会社にとっても信頼度の高い調査と評価された。とくに多くの一般世帯へ電子装置を設置し、調査事業を展開したことは革新的なことであった。

 以上みたように調査分野への機械化の導入、さらに電子装置の開発、採用という新しい動きは、調査事業に大きな転換と影響をもたらすものであった。

 数学的な調査技法の進展、さらにエレクトロニックス技術の導入、コンピュータの採用は、マーケティングサイエンスとしての調査事業を科学的に武装させると同時に多大投資を強いる装置産業として位置づけるようになった。

 欧米の調査発展史からみて、調査業界はハイテック・マーケティングのにない手としてその役割と展開が期待されているといえよう。

(以上)

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