欧米調査発展史(2)―アメリカの社会調査―

VRDigest編集部
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本記事は1986年に発刊したVR Digestに掲載されたものです。

アメリカの社会調査

 アメリカの調査は、ブースの切り開いた道をそのまま這ったものだった。しかもボーレー等によって、科学的で熊率的な方法が発見されたずっと後になっても、この方法を変えようとしなかったムブースのやり方と同様に初期のアメリカの調査は、恐ろしく手のかかる仕事で、あらゆる事柄を問題とし、全人口階層を対象とするものであった。然しとも角アメリカで計画的に行われた最初の調査は、1909年にPaul.U.Kenoggとその協力者が実施した、ピッツバーグの調査である。

ピッツバーグ市内の各製鉄所で働く未熟練工の生活および労働状態―収入および支出、犯罪、労災、工場検査、婦人労働等の問題が、訓練を経た盛会事業家、社会科学者、経済学者の協力で調べられたが、その結果は新聞や展覧会で広くPRされた。

1912年、Shelby M.Harrisonの指導の下に調査・展示部がつくられた。「同部が設定した2つの主要目的」は、調査の知識を普及し、調査方法の発達をはかることであって、この両目的を促進して行くために外部の諸機関独自の調査にいちいち極力助言と助力が与えられるようになった。

このあっせん所の助けで行われた初期の調査の中で、特に注目すべきものは、スプリングフィールド(イリノイ州)の調査であった。これは広く全般的な質問を試みたピッツバーグの調査と異り、その範囲を公立学校知能薄弱者の保護、レクリエーション、住居、一般の健康状況、矯正制度、慈善事業、産業の状態、地方行政、等の問題に限ったものであった。

 EatonとHarrisonは、アメリカの調査がだんだん専門的になってきた―「即ち健康、衛生、国民教育、住宅、レクリエーション、雇傭、工業に関すること、子供の福利等、社会生活上の重要な一面に集中するようになってきた」ことを指摘している。クリーブランドの調査は、最初に行われたこういった専門調査の代表的なもので教育、病院および健康、・レクリエーション・犯罪等について調べている。

 以上のような社会と経済の状態についての調査は1914年から、急激にその数を増加し始めている。ラッセル・セイジ協会は、1928年の1月1日までに実施された2775回の調査をリストしているが、その内153が一般の社会調査というべきもので、その他は健康、犯罪、少年犯罪、レクリエーション、教育、住居等の諸問題を特別に調べたものであった。

社会調査と都市調査

 社会調査の中で最も注目すべきほRobers S.LyndとHelen M.Lyndの2人が調査し、1912年に発表した中都市の研究(The study middletown)であった。彼等はさまざまのテクニックを使って、典型的な一中都市の生活の探究を志し、各人の収入、家庭生活、子女の教育、余暇の使用、宗教生活、社会事業への関連等の問題を明らかにしたが、この調査は、広汎なデータを持ちまたその概要を分析的にまとめているので有名である。

 この2人のリンドは、それから10年後に再び、この同じ町を調査してその間に起った変化 ―好景気と不景気のもたらした結果を注目し、更に1925年に認め得た傾向がなお持続しているかどうか― を調べあげた。この2度目の調査は、「過渡期の中都市」(Middle-town in Transition)という名で1937年に発表されているが、これには多くの調査方法が採用されたばかりでなく、彼等2人のほかにその町のそれぞれの地区に居住する5人の助力者が参加したのであった。そして彼等は既存レコードの整理に当ると共に、一定又は臨時に、多くの面接をくり返した。その出版されたその報告者は、記術及挿話の部門のほかに、調査者によって夫々分析された、極めて豊富なデータを包含したものであった。

"Leisure:A Suburban Study"―余暇について、ある都市郊外の調査―これは1932年から34年の間に、Lundberg、Komarovsky、Melneryの3人の協力で、ニューヨーク州のウェストチェスター・カウンティーで行ったもので、特殊の社会調査と地域社会の社会構成の調査とを組合わせたものであった。

 20世紀初頭のボーレーの調査以来、適確な標本抽出の方法と共に、根拠のはっきりした計量比較の出来る統計素材の必要が、除々にではあるが次第に認められてきた。(ね)

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