デジタルメディア教室(15)~コンテンツのお値段~

VRDigest編集部
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本記事は2002年に発刊したVR Digestに掲載されたものです。

今後「コンテンツ」の価値を客観的に評紆できる指標が、放送や通信といったメディアにおける様々な取引において必要になる、という見方があるかもしれません。

放送の場合で言えば、ハードディスクレコーダーやホームサーバ、放送番組のビデオ・オン・デマンド(VOD)のようなものが一般化し、放送局の意図する編成時間軸を無視した視聴行動が顕在化した場合、広告の乗り物としての価値や、そのコンテンツ自身の価値を決めるより所はコンテンツそのものになるだろう、というような考え方です。

上記のような考え方を詰めていくには、広告メディアと有料メディアの違い、さらにはパッケージ化などで話が変わるのでしょうが、今回は、そもそも生活者がコンテンツに対価を払う行為について考えてみたいと思います。

そもそも生活者というのは、コンテンツにお金を払うことに慣れているのでしょうか?

コンテンツに対価を払う行為としては、有料放送(WOWOWやスカパー)を契約する、各種ソフトを購入したり、レンタルしたりする、さらには映画館、コンサートや競技場に出かけるといったことが具体的な事例になると考えられます。

昨年秋に実施した「デジタルメディア総合調査」(調査概要は本誌5ページ参照)では、そのような行為(18項目)について1ヶ月あたりの平均支出を調査していますが、映像や音楽、スポーツといったエンタテインメントにかかわる行為では、「0円」もしくは「無回答」が過半数を占め、コンテンツに対価を支払うという行為自体が、多くの生活者にとって日常の習慣的な行動ではない、といったことが類推されます。

 また見方を変えると、支出の行為自体も、例えば音楽CDでは、アーティストが異なり、収録曲数や時間が違ってもCDの定価、レンタル料という範囲ではほぼ一律であり、その意味では生活者にコンテンツごとの価格意識というものは希薄かもしれません。

 これは、映画館で映画を見る、コンサートに行くといったことにもある程度当てはまることであり、生活者のコンテンツ購買行動は、それと接触するウインドウ(≒流通経路)によって規定される、ということが言えるのではないかと思われます。

 このことを極論すれば、生活者はコンテンツに対価を払っているというよりも、制作や製造、流通を含めて平準化されたコストを、「そういうもの」として容認しているのであり、個々のコンテンツに対して「価格」を直接的に意識することはない、というのが現状であるかもしれません。

情報技術の発達に伴い、コンテンツの流通経路が多様化・多重化することで、その伝送経路(インフラ)への吸引力も含めて、コンテンツの価値を決める主体が誰であるべきか、ということが改めて議論されることがあるかもしれません。

最近の風潮としては、「生活者のニーズに目を向けるべき」との声も聞かれますが、前述したように、生活者のコンテンツ消費というのは、個々のコンテンツと直接向き合っているというよりも、提供されている仕組みの中で、値ごろ感や利便性を鑑みながら行われていることと理解するほうが妥当なように考えられます。

 また、仮説ではありますが、それには生活行動そのものや、ファン心哩、世間での評判といった様々な「気分」の要素も大きく影響を与えることであり、コンテンツの「価値」は、かなり相対的なものである、ということも指摘できるでしょう。

価値あるコンテンツを確保することは、伝送路を保有する企業、コンテンツの二次利用ビジネス、プラットフォーム事業などに取り組んでいる企業にとって重要なテーマですが、それが「流通サイドの視点」に偏重していないか、ということは改めて顧みる必要があるように思われます。

 最近の話題として、個人(投資家)を対象にした映画ファンド、BSフジのコンテンツファンドの試みなど、規模や内容は様々ですが、一般生活者がコンテンツ制作を支援(先行投資)するような仕組みというのも顕在化しつつあるようです。

 そもそもコンテンツは、見てみないことには良し悪しがわからない暖味なものであるわけですが、その制作に生活者が参加するということは、今現在最も生活者がコンテンツに対価を払う行為として信頼度のあることと言えるかもしれません。

                              デジタルメディア部 石松俊之

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