【小西 未来のハリウッドのいま、日本のミライ】「既定路線」だったパラマウント売却が危機に トランプ大統領の200億ドル訴訟で暗雲
トランプ大統領の就任から約5ヶ月、その政策は文字通り全方位に及んでいる。「相互関税」による貿易戦争の再燃、連邦政府によるハーバード大学をはじめとする高等教育機関への助成金打ち切り、そしてロサンゼルスへの州兵派遣による治安対策強化など、アメリカ社会の根幹に関わる分野への直接介入が続いている。
しかし、トランプ政権が及ぼす不確実性は政治や経済の領域にとどまらない。その波紋はハリウッドという文化産業の中枢にまで及び、一つの巨大買収劇を根底から揺るがしている。
デヴィッド・エリソン率いるスカイダンス・メディアによるパラマウント・グローバルの80億ドル買収が、トランプ政権の誕生によって予期せぬ暗礁に乗り上げているのだ。
パラマウント・ピクチャーズといえば、1912年創立という映画界最古参の名門スタジオの一つだ。『ゴッドファーザー』三部作から『フォレスト・ガンプ』、そして現在も続く『ミッション:インポッシブル』シリーズまで、映画史に残る作品を数多く世に送り出してきた。
親会社のパラマウント・グローバルは、CBSやニコロデオン、MTVなど、アメリカのポップカルチャーを牽引してきた多数のネットワーク局を傘下に抱える巨大メディア企業だ。
だが、この老舗企業も時代の波には逆らえなかった。ケーブルテレビ離れの加速、Netflix台頭への対応の遅れ、新型コロナによる映画館収入の激減、そして2023年のハリウッドの歴史的なダブルストライキ----これらの要因が重なり、同社の業績は急速に悪化した。
自社の動画配信サービス「Paramount+」も、ディズニープラスやHBO Maxとの激しい競争の中で苦戦を強いられ、膨大な赤字を垂れ流している状況だった。
こうしたなか、救世主として現れたのがスカイダンス・メディアだった。同社は皮肉にも、『ミッション:インポッシブル』や『スター・トレック』といったパラマウントの看板作品を製作してきた実績を持つ。
デヴィッド・エリソンCEOは、オラクル創業者ラリー・エリソンの息子として豊富な資金力を背景に、2010年の設立以来着実に映画業界での地位を築いてきた人物だ。
パラマウントの特別委員会は約1年という異例の長期間をかけて条件を精査し、売却交渉は2024年春から本格化。最終的(2024年7月)に合意された80億ドルという買収額は、パラマウント株主にとって当時の株価を大幅に上回る魅力的な条件だった。業界関係者の多くが、この買収劇の成立は既定路線と見なしていたのである。
しかし、2024年10月、この買収劇に思わぬ暗雲が立ち込めることになる。当時大統領候補だったドナルド・トランプが、CBSに対して100億ドルという前代未聞の損害賠償訴訟を起こしたのだ。その理由は、同局がライバルだったカマラ・ハリス副大統領を有利に見せるために意図的な編集操作を行ったというものだった。
問題となったのは、CBSの看板報道番組「60ミニッツ」で放映されたハリス副大統領のインタビューだった。イスラエル問題について質問を受けたハリス副大統領は、実際には回りくどく冗長な回答をしていた。しかし「60ミニッツ」では、その中から簡潔で的確な部分のみを抜粋して放映した。
ところが、この冗長な回答の全容が別のCBS番組で放映されたため、両者を見比べた保守派メディアが編集の違いに気づいた。彼らは「CBSがハリスを知的に見せるために意図的に編集を操作した」と激しく批判を展開。そしてトランプは10月下旬、CBSに対し100億ドルの訴訟を起こしたのである。
そして今年1月の大統領就任後、事態はさらに深刻化した。トランプは損害賠償要求額を200億ドルに倍増させただけでなく、自らが任命したFCC(連邦通信委員会)委員長を通じて、スカイダンスによるパラマウント買収の承認審査を事実上停止させたのだ。FCCの承認は、放送局を含む企業買収には不可欠な手続きである。
この状況で、パラマウント・グローバルとスカイダンス・メディアは究極のジレンマに直面している。理論上、買収を前に進める最も直接的な方法は、トランプ大統領の要求する200億ドルを支払うことだ。しかし、この選択肢は致命的なリスクを伴う。
まず、CBSという報道機関としての権威と独立性が完全に失墜する。60年以上にわたって築き上げてきた「アメリカで最も信頼される報道機関の一つ」という地位が、一夜にして瓦解してしまうのだ。
さらに深刻なのは、現職大統領への巨額支払いが事実上の「賄賂」とみなされるリスクである。これは連邦法違反に問われる可能性があり、企業幹部の刑事責任すら問われかねない。
200億ドルという金額も非現実的だ。これはパラマウント・グローバル全体の企業価値80億ドルの2.5倍に相当し、買収資金を大幅に上回る。仮に支払いが可能だったとしても、買収完了後の新会社は巨額の債務を抱え、経営が立ち行かなくなる可能性が高い。
こうした状況下で、パラマウント・グローバルには時間的な猶予も残されていない。買収契約では、10月までにすべての規制当局の承認を得て取引を完了させることが条件として定められている。しかし、FCCの審査が事実上停止している現状では、この期限を守ることは絶望的だ。
もしパラマウントが期限までにスカイダンスへの売却を完了できなければ、この80億ドル規模の取引は完全に破綻することになる。その場合の代償は重い。契約条項に基づき、パラマウントはスカイダンスに4億ドルという巨額の違約金を支払わなければならない。
この4億ドルの違約金支払いは、すでに財政難に苦しむパラマウントにとって致命的な打撃となりかねない。4億ドルの追加支出は会社の存続そのものを脅かす水準だ。さらに深刻なのは、買収が破綻すれば、パラマウントは再び売却先を探さなければならないという点だ。
しかし、今回の一件でトランプ政権の介入リスクが明らかになった以上、新たな買い手を見つけることは極めて困難になるだろう。
トランプ大統領が生み出す不確実性は、もはや政治の枠を超えて社会全体に波及している。パラマウントの買収問題も、この巨大な連鎖反応の一環として位置づけられるのかもしれない。
ハリウッドの再編は、これまでとはまったく違った力学のなかで進みそうだ。
<了>