【小西 未来のハリウッドのいま、日本のミライ】ハリウッドを震撼させたAI女優ティリー・ノーウッド
いまハリウッドで話題の女優ティリー・ノーウッドをご存じだろうか? 彼女はドラマの端役でブレイクしたわけでもなければ、大作に抜擢されているわけでもない。そもそも人間ですらない。そう、彼女はAIで生み出されたキャラクターなのだ。
生成AIでリアルな人間が生み出せるようになったのは、別に驚くことではない。実際、すでに誰でもかなり精巧なものがつくれる。だが、彼女――あえてこう呼ぶ――が物議を醸している理由は、そのリアルさや可愛さが理由ではない。本物の女優としてタレント事務所と契約しようとしているからだ。
つまり、映画やテレビ、CMなどに出演する本物のタレントとして活動しようとしているのである。架空の存在が、実在の俳優たちと同じ土俵に立とうとしている。
そんな発表を受けて、ハリウッドは激震に見舞われた。有名俳優たちがつぎつぎと怒りの声をあげている。2023年の映画俳優組合-アメリカ・テレビ・ラジオ芸術家連盟(SAG-AFTRA)による118日間のストライキの争点のひとつだった、AIによって仕事を奪われる脅威が、まさに目前に迫ったからである。
ティリー・ノーウッドは、ロンドンを拠点とする駆け出しの女優という設定で、ショッピングとアイスコーヒーを愛する20代の女性として描かれている。
Instagramには約6万人のフォロワーがおり、モンスターと戦うアクションシーン、崩壊する未来都市から逃げるSF映画風の映像などが投稿されている。一見すると、普通の若手女優のアカウントと変わらない。
彼女を創り出したのは、AIプロダクションカンパニーParticle6とその新設スタジオXicoiaである。創設者のエリーヌ・ファン・デル・フェルデンは、オランダ出身の物理学修士号を持つ女優で、2015年にParticle6を立ち上げた。女優としてのキャリアとテクノロジーへの理解、両方を持つ彼女だからこその発想だったのかもしれない。
Xicoiaは「世界初のAIタレントスタジオ」を標榜し、独自のアバター・パーソナリティ・エンジン「DeepFame」を使用している。このシステムは、完全なバックストーリー、独自の声、そして完全に実現されたパーソナリティを持つAIキャラクターを開発する。単なる3DCGではなく、人格を持った存在として設計されているという。
ティリーは7月にソフトローンチされ、TikTok、Instagram、YouTubeでアカウントを開設した。そして、9月27日、スイスのチューリッヒ映画祭の業界イベント「チューリッヒ・サミット」で、エリーヌ・ファン・デル・フェルデンはティリーがまもなくタレント事務所と契約すると発表した。
彼女は「ティリーをスカーレット・ヨハンソンやナタリー・ポートマンのような存在にしたい」と語り、その野心を隠さなかった。
この発表は、ハリウッドに激しい反発を引き起こした。エミリー・ブラント、ウーピー・ゴールドバーグ、ナターシャ・リオンら著名俳優たちが次々と怒りの声を上げた。SAG-AFTRAも即座に痛烈な声明を発表し、「人間の代替としての合成キャラクター」を断固拒否する姿勢を示した。
こうした状況で、有名俳優を擁するタレント事務所が、ティリー・ノーウッドと契約することは考えづらい。看板俳優たちを敵に回すリスクを冒してまで、AI女優と契約するメリットはない。また、メジャースタジオも、俳優組合の反発を恐れて、AI女優を起用することはないだろう。ティリーの野望は、現実の壁にぶつかっている。
だが、映画制作ではAIがすでに使われつつある。映画スタジオのライオンズゲートはAIスタートアップRunwayと提携し、ストーリーボード作成などの分野で技術の活用を模索している。NetflixやAmazon MGMスタジオも、VFXにAIを使用するシリーズを制作している。
アカデミー賞にノミネートされた「ブルータリスト」や「エミリア・ペレス」などでは音声処理でAIを使ったことが物議を醸した。つまり、俳優の代替としてのAI使用には強い抵抗があるものの、制作プロセスの効率化という名目であれば、AIはすでに現場に浸透しつつあるのだ。
そして、初音ミクがコーチェラで公演を行い、Guessの広告にAIモデルが起用されたりと、デジタルキャラクターは私たちの日常に浸透しつつある。「アバター」のようなモーションキャプチャーで生み出されたCGキャラクターが主役を務める映画がヒットするなかで、AI俳優が登場するのは時間の問題のようにも思える。
折しも配信戦争の激化でコストカットが急務となっているなかで、口答えせず、スキャンダルを起こさず、リーズナブルな料金で働くAI俳優には、明らかにビジネス的な需要がある。
そのためのハードルは2つある。まずは、俳優組合などの人間側の抵抗だ。その動きは上で説明した通りだ。
もうひとつの壁は、「演技力」だ。CGアニメのキャラクターはアニメーターと声優が、モーションキャプチャーは生身の役者が演技をつけている。それがピクセルで作られたキャラクターに魂を宿している根源だ。
技術がいくら進化しても、感情の機微や瞬間的な判断、予測不能な化学反応----それらは人間の俳優が生み出してきたものだ。
もし、AI俳優が動作だけでなく、演技というものを学習し、その役柄を演じ分けられるようになったら。そして、監督の指導に対応できるようになって初めて、使える存在になるだろう。
さしあたり、今のところティリー・ノーウッドはそのレベルに達しているとは思えない。だが、AIがここ2、3年で飛躍的に成長したのをみれば、不可能とも思えない。数年前、AIが人間と見分けがつかない画像を生成できるなど誰も想像していなかったが、いまや誰でもスマホで作れる時代だ。
いずれAI俳優たちが当たり前になる可能性もある。そのときになって、彼女はそのパイオニアとして、歴史に名を残すのかもしれない。
<了>