てれびのスキマの温故知新〜テレビの偉人たちに学ぶ〜「八手三郎」篇
てれびのスキマの温故知新~テレビの偉人たちに学ぶ~ 第74回
シリーズ第49作目の『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』(テレビ朝日)をもって、約50年続いた「スーパー戦隊」シリーズのレギュラー放送が終了する。
初期にわずかな空白があったとはいえ、約50年もの間、シリーズが継続して制作されるのは、日本のみならず世界的に見てもほとんど例がないことだろう。
しかも戦隊シリーズは、1年間にわたって放送される。そうしたドラマ枠は現在、このスーパー戦隊と仮面ライダーシリーズ、そして大河ドラマだけだ。どれだけスゴいことかがわかるだろう。
そんなスーパー戦隊シリーズのほとんどに、「原作」としてクレジットされているのが、「八手三郎」だ。
しかし、八手三郎なる一個人は存在しない。これはスーパー戦隊シリーズを手掛けている東映映像本部テレビプロデューサーの共同ペンネームだ。
そもそも「戦隊」の元祖である『秘密戦隊ゴレンジャー』は、イレギュラーな"事故"から生まれたものだった。
その大きなきっかけが、「腸捻転の解消」だった。1975年4月に実施された東京と大阪のネット局のねじれを解消したネットチェンジのことだ。
詳細は省略して大雑把にいえば、それまで関東:TBS=関西:朝日放送(ABC)、関東:日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)=関西:毎日放送(MBS)となっていたネット局を、母体となっている新聞社にあわせTBS=MBS、NET(テレビ朝日)=ABC(朝日放送)に変更したのだ。
ネット局が変更になれば、当然それまでのタイムテーブルが崩れることになる。それまで関東の局(あるいはその逆)で制作した番組を放送していた枠は、変更を余儀なくされる。それが人気番組となれば、局にとっては大きな痛手だ。急遽、それに変わるものも用意しなければならない。
『仮面ライダー』シリーズはこの頃、東映とMBSが制作していたため、ネットチェンジ前までは、NETで放送していた。だが、ネットチェンジの結果、TBSに移ってしまう。NETにとっては強力な子ども向け番組のひとつを失ってしまったのだ。
そこで『仮面ライダー』に変わる新たなヒーロー番組が要請された。この年のライダーシリーズの新作は『仮面ライダーストロンガー』。実はこのとき、企画段階で却下された案があった。それが、複数のライダーがチームとして活躍する「5人ライダー」。それを再検討する形で生み出されたのが「5色のスーツに身をまとったグループヒーロー」の『ゴレンジャー』だったのだ。
ちなみにその翌日、テレビ史を代表するもうひとつの番組が生まれている。それが『パネルクイズ アタック25』(ABC)だ。実はこれもネットチェンジによって生まれた番組。
元々はMBS制作で同じ東洋リノリユーム(現・東リ)一社提供・児玉清が司会の『東リ クイズ・イエスノー』が放送されていたが、ネットチェンジの影響でTBSにはその枠がなくなってしまった。そこで同じ座組の番組として企画がABCに持ち込まれ『パネルクイズ アタック25』が始まったのだ(※1)。
ちょうどこの頃、カラーテレビの普及が進んでいた。ネットチェンジで生まれたふたつの番組が「色分け」が重要な要素になっている偶然や、それぞれがその後、50年近くにわたって放送されたというのも興味深い。
八手三郎が原作者としてクレジットされるのは3作目の『バトルフィーバーJ』から。ある時期までは、この作品を「スーパー戦隊シリーズ第1作」とすることもあった。一時休止前の石ノ森章太郎が原作である『秘密戦隊ゴレンジャー』と『ジャッカー電撃隊』は、「戦隊シリーズ」として区別していたのだ。
実際、スーパー戦隊の重要なフォーマットの一つである巨大ロボ戦はこの作品から導入され、1年ごとに新作に切り替わるスタイルも確立された。
もともと「八手三郎」は、『仮面ライダー』シリーズを手がけた東映テレビ部プロデューサーの平山亨のペンネームだったという。他社の作品を手がける際に「東映の社員が他社の作品で名前を出すのはまずい」という考えから使用されたが、やがて前述の通り、東映映像本部テレビプロデューサーの共同ペンネームとなった。
そんな八手三郎が、"インタビュー取材"を受けたことがある。それは『動物戦隊ジュウオウジャー』(2016年)の公式サイトに掲載された。「顔出しNG」としてキリンのマスクを被って登場し「私、八手は1970年代から活動しておりますが、時代により顔や体が変わるという特異体質がありましてね。顔年齢はもちろん、性別が変わることもあるんですね」(※2)などと答えている。
そんな八手の"変身"っぷりが象徴するように、スーパー戦隊シリーズは時代に合わせて様々な"変身"をしてきた。
『秘密戦隊ゴレンジャー』が誕生した1975年はちょうど「国際婦人年」に当たる。それを反映するように、男性と対等に継続的に戦う女性ヒーロー(モモレンジャー)が登場した。特撮ヒーローものとしては先駆けだ。
1984年の『超電子バイオマン』では、それまで紅一点だった女性ヒーローが2人に増える。折しも女性の社会進出が叫ばれていた時代。翌年には「男女雇用機会均等法」が成立していることからも世相を先取りしたものといえるだろう。
流行にも敏感だ。映画『サタデー・ナイト・フィーバー』でディスコブームが到来すれば、「ダンス」を取り入れたアクションをする『バトルフィーバーJ』が、ロス五輪直前には正式種目に採用された「新体操」をモチーフに『大戦隊ゴーグルファイブ』が、トレンディドラマ全盛の頃には恋愛ドラマの要素を盛り込んだ『鳥人戦隊ジェットマン』が、電車ブームになると愛車をバイクから電車に変えた『仮面ライダー電王』が、東日本大震災後にはクリーンエネルギーを巡る物語『特命戦隊ゴーバスターズ』が、という風に積極的に流行を取り入れている。
そんな中でシリーズの大きな転機のひとつになったのが、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』(1992年)だった。 プロデューサーを務めた白倉伸一郎によると、当時、スーパー戦隊シリーズは「風前のともしび」で、「もう最後の戦隊かもしれないと思ってやろう」と言っていたという(※3)。
だったらこれまでやっていなかったとこをやろう。
そう考えて生まれたのが、いわゆる「追加戦士」だった。物語の途中で6人目の戦士を出したのだ。これが新たな定番となった。
さらに、この作品からアメリカで『パワーレンジャー』が作られるようになった。特撮アクションシーンは日本版のものをそのまま使い、ドラマ部分のみをアメリカ人キャストに差し替えてリメイクするというこれまで例にないシステムだ。
日本の特撮ドラマ好きのハイム・サバンが何度も来日し、東映に打診して実現した。日本人が演じるドラマをそのままアメリカで放送しても受け入れられない。かといって、特撮パートを毎週放送できるように撮影するノウハウも予算もなかった。そこでサバンが思案し出したアイデアが「特撮パートを東映から買えばいい」というものだったのだ。
『パワーレンジャー』シリーズは、アメリカの子ども向け番組史上最高の視聴率を記録し、"米国で最も成功したジャパニーズコンテンツ"と言われる(※4)ほどのブームを巻き起こした。
東映側は、『パワーレンジャー』としてドラマ部分を新撮するうえで、条件を出した。
それは、5人が力を合わせる絆を描くことだ。しかし、当初アメリカ側のスタッフからは理解されなかった。「ヒーローが5人いるなんておかしい。ヒーローというのは1人に決まっているじゃないか」と言うのだ(※4)。
だが、複数で助け合い戦うことこそが、不可欠なのだ。そう考えると「原作」が八手三郎という複数の集合体であることは象徴的だ。
戦隊そのものが描く善悪も、初期からは変遷していった。白倉はこう語っている。
「東西冷戦が終わり仮想的な「絶対悪」を社会が想定しづらくなった。フィクションのヒーローものでも一面的な善悪を描くことが難しくなっていきます。その中でも工夫をしながら、キャラクターの人物像を大切にしながら、悪い敵を倒す姿を放送してきました」(※3)
日本は無神論者の国だとよく言われる。だが、この半世紀に生まれ育った日本人の倫理観の根底に戦隊のような特撮ヒーローの強い影響があると言うのは過言だろうか。白倉も「日本人の心の中には、戦隊がいると思っていますし、少しでも戦隊が社会にいい影響を与えられていたならうれしいです」(※3)と言う。
それは八手三郎、すなわち、スーパー戦隊の作り手たちの総意だろう。
「子ども向け番組」という仮面を被って長い歴史を紡ぎ、いまや親子二世代はおろか三世代を貫くヒーローとなった。ヒーローたちの戦いを通して「あきらめない心」や「助け合うこと」を説き、「複雑な正義」を描き「赦すこと」や「信じること」の先に争いのない世界があることを訴え続けてきたのだ。
(参考文献)
(※1) 『QUIZ JAPAN』Vol.14(セブンデイズウォー)
(※2) 『動物戦隊ジュウオウジャー』公式サイト
(※3) 「朝日新聞デジタル」2025年11月30日
(※4) 「東洋経済」2017年7月22日
<了>