こぼればなし

ローカル局の若手応援企画や
Synapse本誌ではお伝えしきれなかった取材裏話を
お届けしていきます。

[ 株式会社a ]

林 健嗣

KENJI HAYASHI

取締役社長


[ 有限会社デジタルコンテンツ ]

山﨑 一

HAJIME YAMAZAKI

CEO / Filmmaker

▼CLICK !



[Profile] 株式会社a 取締役社長  林 健嗣 (はやし けんじ)



[Profile] 有限会社デジタルコンテンツ CEO/Filmmaker  山﨑 一(やまざき はじめ)


お二人の簡単なご経歴を教えてください。まず林さんからお願いします。

僕はもともと札幌テレビにいて、制作現場に40年くらいいました。作ってない番組はないくらいで、『どさんこワイド』の3代目プロデューサーも務めていました。札幌テレビを退社後、海外向けの番組をつくって販売する会社を立ち上げました。共同制作を目的に活動しているのですが、そのためにも制作者の方が重要な存在です。それで山﨑さんと一緒に共同制作をしているんです。


山﨑

私は大学卒業後に、ゲームのソフトウェアをつくる会社に就職しました。その後、北海道にUターンして、印刷会社でコマーシャルとかプロモーション映像制作とか担当していました。独立したのは15年前。独立するときに、ただ受託でプロモーションをするんじゃなくて、自社の柱がひとつ欲しいと考えていました。もともと旅行好きでいろんなところ行くのですが、当時個人でビデオカメラを持って撮影している人間はいなかったので、写真家とは違うアプローチで風景を撮れるかなと思っていました。そういう考えを大事にしながら、プロモーションや番組のお仕事をしている中で、林さんにお声がけしていただいて、自分の考えをベースとした番組を作るようになっていきました。


山﨑さんと出会った当時、私はまだ札幌テレビにいたのですが、一人でコツコツすばらしい映像を撮っている人がいることを知りました。でも彼がCMを作ったり、彼のライブラリ映像が使われたとしても、彼の名前は一切出てこない。賞をとっても彼の名前じゃなく、局の名前が出たりする。でも制作者にとって自分でやった!という実感や成長を実感できることは凄く重要なことなんです。今、我々が活動しているマーケットはそういう実感が持てるいい場所だと感じています。

山﨑さんの撮る映像はどういう種類のものが多いのでしょうか。

彼は“光の柱”と呼ばれる光の現象のサンピラー(太陽柱)をずっと撮り続けているんです。その“光の柱”は北海道でも1年に数回しか見ることができない特殊な自然現象です。それを撮るためだけに早朝五時には起きて(夏は三時ですが)、まだ真っ暗で何もカメラにうつっていない中で、その光の現象が現れるまでじーっと待ち続けるんです。だから彼と付き合ってると私の体が持ちません(笑)。でも、そういう映像撮るのって、普通のテレビ局ではコスト的のことを考えたら、なかなか撮れないんですよね。



山﨑

ちょうど日の出のときに太陽の下に氷の柱ができるんです。なかなか見られないですね。



マイナス23度くらいの中で待ち続けて、その一瞬を彼が撮るんです。もう『サンピラーを取る男』っていう名前の彼のドキュメンタリー撮りたい位です。そこには今のテレビが忘れちゃったことがあるように思います。テレビ局の人に彼の映像見せると、そんな時間かけて撮られたら俺ら勝てないよ、ってなると思いますね。


今はどんな作品を販売されているんでしょうか?

彼の息子と北海道の風景を映している作品です。たまに、ここは話したほうがいいよとアドバイスしたりはしますが、基本的には演出はほとんどしないですね。この作品のファーストシリーズは香港の放送局に売れていて、12月に放送されます。他にも、台湾とかサウジアラビアからもお呼びがかかっています。内容が教育的であるということと画が綺麗ってことが、声をかけていただている理由です。

今回のTIFFCOMのようなマーケットにはいつも出展されているのですか?

山﨑

はじめて参加しました。実際に参加してみると、バイヤーの方々がどういうものを求めているのかがよくわかりますね。


こういうマーケットに制作者が出るのは非常にいいことですよね。海外のマーケッターからの反応を直接感じられる。彼にそれを体感してもらいたいと思って、今回連れて来ました。

林さんは、今回どのような気持ちでこの場に向き合っておられるのでしょうか。

僕はこのマーケットでコンテンツを売るだけじゃなくて、実際に映像を見てもらって、相手の反応を見ています。日本人の方は、『いつ作るの?』『何分もの?』と聞いてきますが、海外の方は映像を見た後に、まず素朴な感想を言ってくれます。この作品だったら2時間だったらいいんじゃないとか、お金出すから作ってよ、とか。ここは売るためだけの場じゃなく、投資家を募る場でもあるんです。僕の考え方は、行政4分の1、自分4分の1、企業が4分の1、残りがここ。海外からバイヤーに投資してもらうことで、バジェットが大体決まる。支援して欲しい金額の2分の1が行政と企業からいただけていたら、残りの額は大体見えてくるので、こういうところに来るとおのずと目標額は決まってきますね。



海外番販をやってこられた中で、今お感じになられてる課題はなんでしょうか?

販売単価が下がっているのはしんどいです。たとえば、普通は30分の番組って大体5万が相場と言われているのですが、その金額より物凄く安く売っている方がいるそうです。1本当たりは安くても、500本持っていれば、すごい金額になる。でも持っている作品本数が少ない人たちからすると、その相場感になると困るんです。ダビングするだけでも時間がかかりますし、その他、配送したり色々と手間・コストがかかりますので。。。4Kも同様ですね。最初のころは1分1万円くらいだったのですが。今年のMIP(※注釈1)では1分5,000円になってました。4K作品が増えたからっていうのと横並びで風景ばかりの作品だから、という理由ですけどね。

価格の下落はどうすれば食い止められますか?

4Kに関しては、これからは綺麗なだけではなく、面白さを追求しなければいけないですね。そのためには、ストーリー性も必要となってきます。でも、そうしていけば価格が下がらないだろうと思っています。ちなみに山﨑さんの自宅にはスタジオがありますけど、4Kは全部彼のスタジオで編集できちゃうんです。



山﨑

ずっと機材にお金をつぎ込み続けています。今度は8Kに投資をするつもりです。



今後は山﨑さんと、短編映画やドラマで活躍する北海道の若手映像監督の山口くんという制作者がいるんですが、二人を組ませて番組をつくりたいと思っています。日本の放送ではできないけど、札幌映像機構さんにも応援してもらいながら、海外のアート的な祭典に出していこうと。そういうコラボも面白いじゃないですか。



(※1)MIP:正式名称はMIPCOM。カンヌで行われる国際番組見本市


× 閉じる

[ 株式会社ハローアース ]

吉田 延明

NOBUAKI YOSHIDA

代表取締役社長

▼CLICK !


吉田さんが運営するウェブサイト「HELLO EARTH CONTENT(ハローアース)」
https://www.content-showcase.com/jp/
映像コンテンツの流通を目的とした放送関連事業者限定のウェブサイト。




[Profile] 株式会社ハローアース 代表取締役社長  吉田 延明(よしだ のぶあき)


ご経歴を教えてください。

吉田

僕はもともとフリーランスとして、テレビの制作現場にいました。その後、制作会社を立ち上げ、今はテレビの制作はやっていないのですが、企業のブランド戦略や広報戦略を立案したりしています。

TIFFCOMでこうして「チーム北海道」として出展されることのよさはなんでしょうか。

吉田

1社単体だと出展しにくいのですが、「チーム北海道」では札幌市の方が仕切ってやっていただけるので大変助かっています。「ハローアース」というなんだかよくわからない名前でも、札幌市っていう看板の中でださせてもらうのはやりやすいですね。

海外のコンテンツマーケットと関わるようになったきっかけは何ですか?

吉田

20年くらい前でしょうか。香港のプロダクションからドキュメンタリーを作って欲しいという依頼をされ、番組を制作したんです。その後、プロダクションがカンヌでその作品を売ることになり、「吉田さんもカンヌに一緒に行こうよ」と誘われ、初めてカンヌのMIPに行きました。僕はそれまで制作者にとってお客さんというのは放送局さんしかいないと思っていたんです。放送局さんから依頼されて、作って、著作権は自分たちでは持つものではないと。でもMIPに行ったときに、世界では自由に映像コンテンツが売り買いされていることを知りました。その時に日本にいながら、番組を売ることはできないのかな?と思いました。でも当時はなんでもテープに焼いて送るという時代。テープ一本も結構な値段がしますし、送ったらそれっきり返ってこない。海外とやりとりするにも言語の問題があるし。日本の放送局さんに言っても当時は「何言ってんの?」と言われたりもして、実現は難しいなと感じていました。


その後、どのように海外と関わっていくこといなるのでしょう?

吉田

数年前から企画会社のお仕事として、札幌市が香港の見本市とかに出展される時のブースデザインなどをやらせてもらいました。その時「あっ、そういえば昔、海外番販のことをよく考えていたよな」と思い出したんです。インターネットも普及し、データで映像も送れるようになって、20年以上前とは環境がガラリと変わっていましたし、今なら出来るのではないかと考えました。それで「HELLO EARTH CONTENT(ハローアース)」というウェブサイトを始めたんです。

ウェブサイト「HELLO EARTH CONTENT」は始めたのはどういうきっかけですか?

吉田

会員制のコンテンツのウェブサイトをやりたいなと思って「ハローアース」を立ち上げました。このサイトは各国の映像コンテンツを取り揃え、映像のショッピングサイトのようなものにしたいと考えています。


こういったサービスは、それまでにあったのでしょうか。

吉田

僕の知っている限りはありませんでした。映像を検索できるデータベースでありながら、ヒットしたものがストリーミングで見られて、それをそのまま使用許諾の権利獲得までいける。字幕の有無、制作国、許諾の中身、たとえばこの作品は地上波で年4回まで流せます、などの情報も入れておいて。金額が大きい場合は銀行振り込みにしていますが、基本的には、オンラインで買えるようになっています。購入を決めると、仮の契約書、日本語版と英語版が出てきます。事前に入力した内容が反映された状態の契約書で、見積書も出る。そこから我々のほうに情報が来て、本契約書を各社にメール添付します。

それはかなり手間が省けて便利ですね。

吉田

今はまだ作品数が少ないのですが、こうしてTIFFCOMに出展することでサイトのコンテンツを増やしたいと思っています。すでに、いくつか作品をいただける事になりました。たくさん作品を集めて、国内外問わず放送局の編成担当さんがこのサイトの中から必要なコンテンツを見つけて欲しいですね。

× 閉じる

[ テレビ高知 ]

岡崎 正明

MASAAKI OKAZAKI

編成局長 番組プロデューサー

新納 朋代

TOMOYO SHINNOU

編成局 編成業務部長代理 編成担当


[ テレビ高知映像 ]

尾崎 泉

IZUMI OZAKI

代表取締役 専務

▼CLICK !


テレビ高知『歌って走ってキャラバンバン』

1977年からスタートとした同番組は、40回目を迎えた今年で節目としてフィナーレを迎えた。
同番組は、高知で知らぬ者はいない長寿番組であり、毎年8月に放送される視聴者参加型の歌番組であった。
7月初旬頃から8月にかけて高知県内の各会場(15会場前後)を予選大会という位置付けで巡回、公開収録が行われ、
その模様が8月になると連日のように番組として放送される“高知の夏の風物詩”であった。

この高知を代表する名番組に携わってこられたテレビ高知の3人のテレビマン・テレビウーマンに、
Synapse編集部は突撃インタビューした!




[Profile] 株式会社テレビ高知 編成局長 番組プロデューサー  岡崎 正明(おかざき まさあき)
1981年入社。技術、本社・東京支社での営業、デジタル系の部署などを経験し、2013年より現職。



[Profile]株式会社テレビ高知 編成局 編成業務部長代理 編成担当 新納 朋代(しんのう ともよ)
1988年入社。アナウンサー、記者、ディレクター、編成業務、深夜番組のプロデューサーなどを経て、
2015年より現職。



[Profile]株式会社テレビ高知映像 代表取締役 専務 尾崎 泉(おかざき いずみ)
1981年入社。10年間の報道勤務を経て、制作へ。以来、『歌って走ってキャラバンバン』に携わる。


この番組は元々どういう経緯で始まったのでしょうか?

新納

私たちが入社した時には既にこの番組は始まっていたので、初期の詳細なお話までは出来ないのですが、私自身が第12回大会の頃から、草創期のメンバーや初代司会者の方々とご一緒させていただいてきたので、この番組の成り立ちや哲学を徹底的に教えていただきました。そこでお聞きした中で申し上げると、元々は、歌じゃなくてもパフォーマンスでも何でも良かったようです。当社が開局して、高知県民の方々への知名度がまだまだだった頃に、高知県中の各地域に自分達の方から訪れて行って、大きな催しを主催していくことで、当社に親しみを持ってもらうのが目的でした。この番組開始当時、ちょうどカラオケが少しずつ流行り始めた頃で、みんな歌うのは好きだし、盛り上がるよねということで歌をベースにしつつ、勝負形式にすればさらに燃えるよねということで、現在のような賞の形式にしたのです。が、本来的な目的は、県民の皆さんと親交を深めることであって、歌はツールという位置づけだったようですね。

尾崎さんはずっとこの番組に携わってこられたそうですね。

尾崎

現在の制作現場で、この番組に携わってきた人間の中で一番古いですね。第15回くらいから少しずつ制作に関わり始めて、第20回から本格的に関わるようになりました。

まず、賞がいくつかありますが、どのような基準で各賞を授与しているのでしょうか?

岡崎

まず地区会場の話ですが、優勝はその地区で一番うまい人。準優勝は二番目にうまい人。地区大会の優勝者は、キャラバンの決勝大会に出ます。地区大会で準優勝の人は、優勝者が決勝大会の時にどうしても参加出来なくなった場合の控えになります。あとはキャラバン賞というのがあって、歌が上手いというよりは、パフォーマンスなど別の形で会場を盛り上げてくれた方に対して、地区大会ごとに一組のキャラバン賞を贈ります。このキャラバン賞受賞者も決勝大会には出場してもらうのですが、20会場で地区大会をやったら、必然的にキャラバン賞の受賞者も20組出ます。が、決勝大会の放送は2時間なので、その尺に入る組数は、大体3~5組の間くらいにならざるを得ません。それで、制作側で絞り込ませてもらって、出演依頼をした上で参加してもらうようにしています。ですので、キャラバン賞は全員が決勝大会に出場出来るわけではないんですよね。


尾崎

地区ごとにそのようないくつかの賞を設けて、決勝大会へとつなげていますが、だからと言って地区大会はただ単に決勝大会に出るための予選という位置づけでもないんです。勿論、歌のうまさを競うために予選、そして決勝へと出場される人もいます。が、地域の人達に、純粋に自分の出し物を見てもらいたいとか、歌が下手でも地域の人達と楽しみたいという人も沢山おられて、歌の上手さだけを競う大会ではないというのが、皆さんから愛されてきた一つの理由だと思うんですよね

夏の本大会に向けては、どういう段取りで準備を進めていかれるのでしょうか?

岡崎

一年の大きな流れとしては、3月から始動します。4月の段階では地区選定を終わらせて、5月には会場が決まった中での募集を開始することになります。地区大会は県内で大体15会場前後の数で選定します。その地域選定については営業の話も聞きながら、スポンサーの意向や県内の各自治体のお話も聞きながら決めていきます。会場が決まれば、募集開始して選考していく。採用・不採用の通知もありますし、地区大会での進行面を考えて、この選考作業を緻密にやっておかないといけない部分があります。7月の頭から地区大会が順次開催されていって8月中頃まで続きます。で、決勝大会が8月末にやるという感じ。

この番組を作っていく上で大変だったのはどういう点なのでしょうか?

岡崎

まず、番組収録とイベントの両方をやっている点です。番組は番組であるけれど、同じ会場でスポンサーの販促活動もやっているわけです。新車の展示とかね。初期の頃は番組収録だけだったのですが、だんだん営業案件が増えてきました。番組の収録だけだといいのですが、番組について下さってるスポンサーさんが10社以上あるので、会場での仕切りとかがあるわけですよね。だんだんそういうスポンサーの意向を反映すべく、で。

高知県は横に長いから、移動なども大変ですよね?

尾崎

土佐清水市や四万十市などの高知市から距離が離れたところは泊まりですね。今は高速が出来たので、まだ片道2時間半以内で行けるようになりましたが、昔は片道4、5時間かかっていたので大変でした。あとは、この真夏の時期に20会場前後の各地区に飛び回って、やり切るのは体力的に大変ということもあって、そういう苦労もありましたね。

長くやってこられて、時代の変化を感じるようなこともおありでしたか?

岡崎

10年前くらいまでは数字も良かったんです。決勝大会の生放送が週末にあっても、20%近く行ったりしていました。しかし、デジタル化と共に、急激に視聴率が下がっていきました。放送業界全体的に歌番組が非常に減ってきたと思うのですが、根底にはそれと同じ流れがあるのかなと思います。私自身、審査員をしていても、かつては誰もが知っているいわゆる歌謡曲を歌う人が多かったのですが、今は一人一人の好きな音楽ジャンルが多様化してきたために、歌う人の選曲の幅が物凄く広がってきました。結果として審査員の我々も、これは何の歌なんだろう?ということが増えてきて、やはり視聴者の方々も、これを見てどうお感じになるのだろうかということを考えてしまう場面も多々ありました。また数字の低下と共に、会場に来る方々の人数もどんどん減ってきたように思います。

視聴率は下がってきている面もありますが、会場にこらえる方の数が減ってきたのは何故なのでしょうか?

新納

それは余暇の過ごし方が多様化したからでしょう。昔は、キャラバンが自分の街に来る!というワクワク感を持って受け止められているのを、こちらも凄く感じていました。この番組の地区大会が、そのままその地域の夏祭りのメインイベントだったりしたので、地区大会が終わったら、番組司会者がそのまま会場に残って、そのまま夏祭りの司会もしたり、本当に各地域地域で楽しんでもらっていたと思いますね。

印象に残っている大会などはありますか?

尾崎

優勝はしていないのですが、この番組の卒業生に、紅白歌合戦にも出られて今もご活躍なさってる三山ひろしさんがいらっしゃいます。他にもこの番組を通じて、プロにあった方は結構おられますが、最も成功しておられる方は三山さんが筆頭だと思います。三山ひろしさんには、今年の決勝大会で、ゲストにも来ていたただきました。ちなみに、今年も含めて、ここ数年間、この番組の司会をしてきた当社の女子アナである藤﨑美希も、この決勝大会の優勝者なんですよ。・・・と、語り尽くせないですね(笑)。

今年の第40回を一つの節目として、一旦の終了となった訳ですが、今後の展開については如何お考えでしょうか?

岡崎

キャラバンバンは、冒頭でのお話にもあったように、当社が開局当時、県民の皆様に全然知られていなかった時代に、我々の方から地域住民の方々の方に出向いていって、親しみを持ってもらおうということで始まりましたが、その目的自体はある程度前に達成していました。
「テレっちのたまご」などのレギュラー番組も増えてきているので、有限である社内制作能力を考えると、ある程度精査は必要なのかなという考えの元、今回の判断に至りました。 しかし、これでキャラバンバンが完全になくなる訳ではありません。今後はまず周年イベントとしてやっていきたいなと思っています。あとは、キャラバンバンという歴史あるブランドは残しつつ、歌以外の企画で県内を巡る展開も考えられるでしょうし、今の時代に合った形にチューニングして、またあらためて県民の皆さまの前に登場させていただきたいと思っています。


■ 7/22(金)高知市朝倉大会での岡崎審査員
(左はゲスト出演された、高知県出身の演歌歌手、三代 純歌さん)



■ 7/22 (金)高知市朝倉大会での尾崎さん



× 閉じる

[ TeNY テレビ新潟 ]

伊藤 正鋭

MASATOSHI ITO

報道制作局制作部/にいがたメチャカワchディレクター

▼CLICK !


[Profile] 報道制作局制作部 にいがたメチャカワchディレクター  伊藤 正鋭(いとう まさとし)
東京の制作会社で8年間勤めた後、フリーのディレクターに。2015年7月にTeNYテレビ新潟に入社。
『TeNY開局35周年 てとフェス おかげさまで新潟一番20年』のライブ演出を手がける。
『にいがたスター☆プロジェクト ナリアガレ」(2014年10月4日~2015年12月19日放送)』を担当後、
2016年3月からスタートした『ケンミン発掘プロジェクト にいがたメチャカワch』の担当ディレクターを務める。


『ケンミン発掘プロジェクト にいがたメチャカワch』とは?
http://www.teny.co.jp/mechakawa-ch/

「思わず見とれてしまうカワイイ子やオシャレな子・・アナタも街で出会うことはありませんか?
そんなメチャカワちゃんに体当たり取材!目指すは県内のメチャカワちゃん制覇!」
TeNYテレビ新潟にて毎週土曜25時25分から放送中

ご経歴を教えてください。

伊藤

大学卒業後、東京の制作会社でバラエティや音楽番組を中心に担当していました。30歳になるタイミングで会社をやめ、TeNYに入るまではフリーのディレクターとして働いていました。

その後TeNYテレビ新潟さんに入社されたのは?

伊藤

求人サイトで見かけて受けてみました。新潟に来たのは面接のときが最初。縁もゆかりもなくて不安でしたが、良い方ばかりで今は安心しています。東京を離れることに躊躇はなかったですね。将来を見据えたとき、東京でフリーで働いていたら何日も徹夜する仕事スタイルでは体力が続かないだろうと思っていたので、地方のテレビ局に就職することは頭のどこかにありました。

『ケンミン発掘プロジェクト にいがたメチャカワch』を立ち上げることになった経緯を教えてください。

伊藤

前身番組に『ナリアガレ』という歌番組があるんです。ミュージシャンを発掘して、売り出してメジャーにもっていこうという番組。スターの発掘という点は同じなのですが、今度はタレントやアイドル探しにテーマを変えて、今の番組を立ち上げることにしました。コンセプトは編成と制作両方で考えて、具体的な番組のつくりは僕に任せてくれました。

番組の売りは?

伊藤

リアリティを大事にしています。普通の番組だったらカットされるだろうなというやりとりを大事にしたいです。たとえば、取材交渉の過程も全部見せますね。そして取材は飛び込みでいくようにしています。相手に構えられてしまうので。以前、別番組で事前にアポをとって伺ったら、バリバリにメイクをされてしまって・・。ロケハンのときの方がきれいだったのに・・。「メチャカワch」は、いかにも作った感じの女の子や男の子は見せたくないと考えています。

かわいい女の子やかっこいい男の子にインタビューするのは『ジグロD』こと伊藤Dと『メガネD』のお二人。
それぞれ質問する切り口が違っていて面白かったです。

伊藤

ありがとうございます。僕はバラエティで育ってきたので、斜に構えたというか、小バカにしている感じの、インタビューもそういうスタイルなんです。なんかこの(取材相手の)子を使って遊んでみようという気持ちでやっていますね。『メガネD』はまっすぐに育っている子なのでストレートに質問するタイプで、お互い全然違いますね。

ターゲットは若い人ですか?

伊藤

そうです。新潟にきて思ったのですが、夜10時くらいにご飯に行こうとしても結構お店が閉まっているんです。みんな家に帰るか、カラオケに行くぐらいしか浮かばない。そういう時にバラエティとか、気休めでなんも考えずに見られる番組があればいいなと考えていました。夜のバラエティに飢えている若者にぜひ見てもらいたいですね。

若い人に見てもらうためにどんな工夫をしていますか?

伊藤

お洒落だなって思う子たちにはファッションのポイントを聞くようにしています。女性は女性を見るときにどこを見るのかな?と考えたら、ファッションと答える人が多いんじゃないかと思いました。でも新潟の人ってシャイなのか、ファッションポイントは「ないんです」って結構いわれます(笑)

インタビュー映像をYouTubeで公開していますが。

伊藤

あれは最初から考えていました。男の子の好みや女の子の好みは当然ながらバラバラです。僕もあの芸能人が好き、このアイドルが好きってあるのですが、それを客観的に判断してもらう材料はないかな?と考えていたら、編成からネット上の動画配信をやったらどうかと提案がありました。

再生回数をみて番組づくりに生かしたりしていますか?

伊藤

それが第二フェーズですね。新潟県内からスターを生みたいっていう大きい裏テーマがあるので、そこにつなげていけるように、ものすごく伏線を張っています。TeNY発のスターを作って全国区になってもらうのが僕らの目標です。

企画会議は何名くらいでやるんですか?

伊藤

会議は定期的に開いているわけではないのですが、現場のプロデューサーと僕とメガネDの席が三角形になっているので、そこで思いついた時に言い合うようにしています。トイレで横並びになったときにも思いついたら話しますし、フランクです。アイディアが温かいうちに考えるようにしますね。

ローカル局の良さとははなんでしょう?

伊藤

雑談から面白いことが生まれてくることがありますね。いざ書類にしてみるとつまらなくなってしまう企画ってたくさんあるのですが、そういうのは避けたいです。口頭でこれが面白い、あれも面白いって肉付けしていくことができる距離感がいいですね。あとは・・全従業員の顔が覚えられること。キー局に常駐していたときは誰だこの人?みたいなことがたくさんありましたから。それに、新潟の人は排他的な感じが一切ない。僕は相当クセがある人間ですが(笑)それをすんなり受け入れてくれて、働くのにはいい環境です。求人サイトさんありがとう!って思っています。

今後の野望を教えてください

伊藤

「メチャカワch」のゴールデン進出。番組をより多くの人に見てほしいというのがあります。ありきたりですが、全国区の番組をローカルで作りたいですね。あとは海外進出。番組の海外進出という意味じゃなくて、僕が海外に取材にいきたいだけです(笑)「メチャカワch」の海外版。あきらかに外国の人に「ご出身は新潟ですか?」って聴く。その画ってシュールで面白くないですか?


Synapse編集部おすすめ動画
https://www.youtube.com/watch?v=IE8nAzJ9GPU

ハーフの女の子に英語を話してもらうのだが、テロップの和訳が『孫悟空』調になっている。
伊藤さん「取材段階では何も考えていなかったのですが、編集段階で英語しゃべれるだけでは
笑いも起こらないなと思って和訳を『孫悟空』にしました」

× 閉じる

[ 福井テレビ ]

畑 祐一郎

YUICHIRO HATA

報道制作局/制作部 副部長

▼CLICK !


[Profile] 報道制作局 制作部 副部長  畑 祐一郎(はた ゆういちろう)
1999年入社。報道部、報道番組部、1年半の福井新聞社会部への出向を経て、現職。


畑さんは2006年の「扉開きしのち〜敦賀に降り立ったユダヤ人の軌跡〜」を皮切りに、
敦賀とユダヤ人のテーマで作品を発表し続けてらっしゃいます。
「私を覚えていてください 素敵な日本人へ」では、2015年の日本放送文化大賞で、
テレビ・グランプリの候補にノミネートされましたね。
このシリーズが制作されることになった経緯からお聞かせください。

2006年当時の上司から「ユダヤ人が敦賀に来ていたみたいだぞ」という話を聞いたのが企画の始まりです。敦賀の鉄道の歴史などを調べてみると、外交官・杉原千畝氏の「命のビザ」を手にしたユダヤの方々がシベリア鉄道でウラジオストクまで来て、船で敦賀に渡り、横浜・神戸などへ鉄道に乗ったという記述があったんです。そこで、タレントさんを使って敦賀からシベリア鉄道に乗ってユダヤ人の足跡を逆に辿っていくというバラエティ色の強い番組を企画しました。で、その企画が通ってから、詳しく調べ始めてみると、ユダヤ人の方々にとっては非常に深刻な問題で、とてもじゃないけどバラエティのノリでは描けないと思い直しまして。それで急遽、ドキュメンタリーに変えることにしました。そこから徹底的に取材して、最初に発表できた作品が、06年の『扉開きしのち〜敦賀に降り立ったユダヤ人の軌跡〜』です。

最初の作品は特にご苦労も多かったのでないかと思います。
具体的なエピソードなどをお聞かせいただけますか。

まず、出版物を手当たり次第あたったのですが、敦賀に関してはほんの2~3行程度の記述しかないんです。「ユダヤ人が敦賀に上陸した後、横浜・神戸などに移動した」と。なので、最初はユダヤ難民が実際に敦賀に来たのかということを確かめるべく、まずは敦賀の方々に取材するところから始めました。地元の歴史研究家グループの方々にもご協力いただきながら、「そもそもユダヤ難民を見た人はいるのか?」という素朴な疑問を聞いて回ったんです。でも、どれだけ駆けずり回っても、敦賀市の皆さんが、6,000人のユダヤ人が敦賀に上陸していた事自体を全然知らなくて。最初の2か月間位は、証言が全く得られず、お先真っ暗な気分でした。取材を開始してから3ヵ月が経過したあたりから、少しずつ証言が得られるようになってきました。

これはドキュメンタリー番組として行ける!と思った決定的瞬間などはあったのでしょうか?

時計が見つかった時ですね。ユダヤの方々はヨーロッパからシベリア鉄道を経た長旅の過程で、敦賀に到着した時にはお金がほとんど残ってなくて、大事な貴金属を質屋に入れて生活費を工面したらしいのです。で、当時敦賀で時計屋さんをしていたお店の娘さんにお会いすることが出来て、唯一の物証と思われる時計を見せて下さったんです。それを検証したら、間違いなくあの当時ヨーロッパで作られたものだということが証明されて、これでやっぱり確かに敦賀に来ていたんだ!という確信に変わって、行ける!と思いました。時計の物証が得られた後は、写真が見つからないかなと探し回っていて、敦賀から移動して神戸に滞在していたユダヤ人を、大阪のアマチュアカメラマンが撮った写真が残っているという話を聞きつけて、大阪市立近代美術館建設準備室に行きました。そこで資料を見せてもらったら、たしかに神戸に滞在しているユダヤ人を撮影した写真があったんです。ちなみに、その写真に写っていた方がたまたま番組で取材を申し込んだ方だったと後から分かったりして、点と点が線につながっていくようになりましたね。

ユダヤの方々が敦賀に来たことが証明された後は、どのように取材を進めていったのでしょう?

日本で現存する資料をある程度探せたと思ったので、次は実際に敦賀に上陸されたユダヤ人の方々にお話を聞こうと考えました。と言っても、自分達だけではどうやってその方々を見つけていいのか分からなかったので、各地の資料館などにも事情をご説明して、ご協力をいただきながら、敦賀に来られたユダヤの方々40人くらいに手紙やFAXをしました。そしたら20通くらい返ってきたんです。お返事を下さった方々の中でも、一番最高齢の現在93歳の女性を中心に取材を組み立てることにしました。その方は、敦賀に降り立った当時は27歳くらいで、既に妊娠しておられたそうです。その彼女にお会いするために、オーストラリアに飛びました。金曜日の安息日に、その女性と子供たちや孫たちが何十人と集まって、一緒に楽しく食事をしているのを見て、一人の命の重さを痛切に感じました。もし、この女性が生き延びられなかったとしたら、ここにおられる彼女の子供たち・孫たちは誰一人として存在できなかったんだ、と。そして、彼女は私に言ったんです。「いつか日本のメディアが、私のところに取材に来ると信じていた。ずっと日本には感謝してきた。日本がなかったら私の家族はなかった」と。この一言で、外国人の目線から日本そして日本人の良さを伝えたい!そして、このテーマをもっと追い続けなければ!という強い義務感のようなものが心の底からこみ上げてきたのを覚えています。

お話をお聞きしていて、私も同じ日本人として誇らしいです。

実は、取材で得られた証言を聞いてても、敦賀市民の方々の意識としては、上陸してきた人達がユダヤ人という認識を持っておられる方がほとんどいなかったんです。国籍がどこだとか宗教が何だとかは誰も意識してなくて、ただ単にヨーロッパから逃れてきた難民の方に何か手を差し伸べてあげたいという気持ちで接していただけだったらしくて。 銭湯の方は無料でお風呂を開放したり、一般の方も通りかかったユダヤの方にリンゴやバナナをあげたりしていたようです。そんなこと、今の時代の僕たちに出来るのだろうか?と思うと共に、同じ日本人として非常に誇らしく感じましたね。

他にも、取材を通じて嬉しかったことはありますか?

この放送がきっかけとなって、08年に敦賀に資料館「人道の港 敦賀ムゼウム」が開館して、後世に伝えていくひとつのかたちとして結実しました。この資料館の2階では、英語版も含めた短縮映像が何本か見られるようになっています。その後も取材を継続し、13、15年にもそれぞれ続編を賞に出品してきましたし、他の企画もいれると計6、7本つくっています。また、年末年始やお盆には3本続けて流したり、このシリーズはこれまでに何度も再放送し、見ていただいています。一人でも多くの方に知っていただきたいので、やっぱり嬉しいですね。

このシリーズはこれからも作っていかれるのですよね?

06年当初に取材させていただいたみなさんのなかには、ここ数年で亡くなった方もいらっしゃって、この10年間が取材の最後の機会だったと強く感じています。今は、取材を通して得られたユダヤの方々の証言を次の世代へ語り継いでいくことが重要だと感じています。実は、「私を覚えていてください 素敵な日本人へ」で日本放送文化大賞のテレビ・グランプリ候補にノミネートされた際に、ある審査員の方に、「40代になると今まで見えてなかったものが見えてくる」と言われたんです。「40代の時が一番いい番組が作れるし、作らなければいけない」と。それで今、ユダヤシリーズを含めて、新たな作品を作ろうと企画しています。内容はまだ言えないのですが、是非期待していてください。

楽しみにしてます。頑張ってください!

× 閉じる

[ 山口放送 ]

佐々木 聰

AKIRA SASAKI

テレビ制作部/テレビ制作課長

成田 弘毅

KOUKI NARITA

若手応援特集

アナウンサー

▼CLICK !

※本誌の山口放送取材記事はこちらから(Synapse vol.9に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/009/01.html


[Profile] テレビ制作部 テレビ制作課長  佐々木 聰(ささき あきら)
1995年入社。『熱血テレビ』ディレクター。
これまで地域に根ざしたドキュメンタリー番組を数々制作。2007年に放送した『山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷』、15年の「奥底の悲しみ 戦後70年、引揚げ者の記憶』は 日本放送文化大賞でグランプリを受賞。
平成27年度(第66回)芸術選奨の放送部門にて文部科学大臣新人賞を受賞。


映画『ふたりの桃源郷』
http://kry.co.jp/movie/tougenkyou/

山で暮らす夫婦と、支える家族“生きること、老いること”を見続けた25年間の記録を映画化。
5月14日から東京はじめ順次全国で公開。




 

出来事や人との出会いの中で「伝えたいこと」が生まれてくる。

入社されてからはどんな番組を担当されていたのですか。

佐々木

「ズームイン」を10年くらい担当していました。毎日のように企画書を出していたのですが、通るまで1年くらいかかりました。

最初に通った企画のことは覚えてらっしゃいますか。

佐々木

すごくよく覚えています。「こだわりの一品」というコーナーですね。「ばちこ」と地元で呼ばれている一品を紹介しました。なまこの卵巣を取り出して、それをかきあつめて、干すんです。僕はなまこといえばコノワタくらいの知識で、卵巣があるって知らなかった。さらになまこは棘皮動物で、色もオレンジでウニと一緒。味も似ているんです。それを「おもしろいでしょ?」ってちゃんと人に伝えられたんでしょうね。それまではよくわからなくて迷っていたんですけど、少しずつコツのようなものがつかめてきて、それからだんだん楽しくなっていきました。うちの会社は「こうやって、こうして、こうつくるのよ」と手取り足取り教えるというやり方ではなく「やってみて学べ」というやり方なので、経験しながら少しずつわかってきましたね。

企画が通り始めたのはなぜだと思いますか?

佐々木

ひとつの企画で伝えたいことって1個じゃないですか。その1個が見えているか見えていないかでしょうね。最初はそれが全然わからなかったんです。うまく表現できていないけど、そういう伝えたいことがみえるようになってきたから企画が通るようになったんだと思います。

今は、さまざまなドキュメンタリー作品をつくられて、数々の賞を受賞されていますが、
つくる上で大事なことは何でしょうか。

佐々木

ワイド番組を担当していますが、ズームインのときも、報道にいたときも一日一日が勝負だと思うんです。やっていくなかに、過程のひとつとしてドキュメンタリーの番組があり、取材して、積み重ねたものが新しい番組につながっていくというイメージ。日々のニュースでも企画でも物事を掘り下げ、つきつめるような感じなんです。それを1分で出すのか、5分なのか、1時間かの違いだけだと思うんです。



戦後の引揚げ者の苛烈な体験を描いた「奥底の悲しみ」。

日本放送文化大賞でグランプリを受賞した『奥底の悲しみ』は、情報番組「熱血テレビ」の特集コーナーで
取り上げた映像をまとめて、再編集してひとつの番組にしたものですよね。

佐々木

『奥底の悲しみ』は戦後の引揚げ者をテーマにした番組です。最初のうちはデイリーの仕事をしながらあるきっかけがあって個人的に調べはじめたんです。調べながらちょっとずつ色んなことがわかってきて。そしてさらにわからないことがでできて、調べて、その繰り返しでした。段々色んなところにいかなきゃいけなくなって、でも休みの日を使っていくには限界がでてきたので、「熱血テレビ」の特集でできないかとプロデューサーの渡部さん(テレビ制作部部長)に相談しました。これまで調べたことを簡単に伝えて。そしたら渡部さんはあんまり深く聞かず、特集でやっていいよと言ってくれました。

基本的に任せてくれるんですね。

佐々木

そうなんです。「熱血テレビ」の中ではテーマを決めて視聴者から意見を募る企画があるのですが、そこで“戦後の引揚げに関する体験談”を取り上げることになりました。「苦情とか来たら・・」といって難色を示す人もいると思うんですけど、渡部さんはやっていいといってくれて。実際に募集したら、想像をはるかに超える数の体験談がよせられました。特集に関しても「あまりお金かからなきゃいいよ」と基本的に自由にやらせてくれました。

「奥底の悲しみ」については、何か伝えたいことが最初にあったんですか?

佐々木

戦争のことを伝えるんだという思いがありました。過去に先輩たちも戦争について多く取り上げてきていて、その中でもやっていないことってなんだろうと、最考えていました。調べてみたら40年くらい前に隣の県でも引揚げをテーマにした作品があったんですが、そうだとしてもそんなのどうでもよくなってきたんです。取材では引揚げの体験者10人くらいと実際に会ってから関係なくなりました。今まで山口県でメディアマンが何人もいたのに、なぜ見てこなかったのか。伝えなきゃ嘘だろと思いました。

番組では敗戦後の中国大陸や朝鮮半島で旧ソ連兵から性的暴行を受けた「特殊婦人」について取材されていますが、実際に「特殊婦人」には会えたのでしょうか。

佐々木

それが会えていないんです。ある時期までは会って、話を聞きたいと思っていました。でもそもそも僕らはそういうひどい目にあった人の話をききたいわけじゃなくて、戦争ってこんな悲しいものなんだよ、つらいものなんだよって伝える立場なので、絶対に会わなくてはってことはないんだと考えるようになりました。

とても重いテーマなので、取材を進める際はご苦労されたのではないでしょうか。

佐々木

ある年配のご姉弟を取材した時のことです。お姉さんの方が自分のお母さんのことを話してくださると。取材の当日には県外に住んでいる弟さんも同席することになったのですが、その弟さんが僕らに一言もしゃべらせなかった。すごい勢いで机をたたいて・・「俺は聞きたくないんだ。だからここにきたんだ」と。その出来事を目の当たりにして、あらためて僕らは、本当は触れてはいけないことを触れさせてもらっていると気づかされました。

今後も取材は続けられていくんですよね?

佐々木

今は加害側を取材しています。視聴者から寄せられた意見の中で、「日本人も同じことをしたんだよ」という手紙が3通きました。われわれの祖父母も戦場で同じことしていたかもしれないと思うと、加害者のちゃんと側面も伝えていかなければならない。このテーマはたとえ視聴率が高くなくても誰かがやらなきゃいけないと考えています。取材対象者の方もご高齢になり、いつまで証言をして下さるかわからない。だから急がなくてはと思っています。





25年間追いかけた、映画「ふたりの桃源郷」

2016年5月には、ドキュメンタリー映画「ふたりの桃源郷」が公開されます。

佐々木

もともとはズームインやほかの番組のコーナーで足掛け25年間追いかけていた夫婦なんです。寅夫じいちゃんとフサコばあちゃんは、もともと家族みんなで山で暮らしていたけど高度経済成長期には町にでて、また還暦を過ぎて山に戻ってきた。山での生活を追い続けて番組化もしています(注:2007年に放送した『山で最期を迎えたい ある夫婦の桃源郷』日本放送文化大賞でグランプリを受賞)。ローカル局でのドキュメンタリー映画は東海テレビさん、南海放送さん、テレビ新潟さんがすでにやっていて、当社では初めてです。東海テレビでは阿武野さんっていう方が一生懸命やってらっしゃっています。テレビ番組の出口が少ないのでドキュメンタリーの長い版を映画で、と。映画用のナレーションは吉岡秀隆さんにお願いしました。これまでやってきた25年分の映像を90分にまとめ、膨大な映像の中でももっとも印象に残っているものや、伝えたいものを厳選しました。

「山で暮らす夫婦」を長く取材されてきて何か変化はありますか?

佐々木

最初は先輩が3年くらい担当していて、7年あいだが空いて、その後僕が再び15年追いかけました。この15年の中でも先輩と僕ではテーマが違うんです。先輩は「老人の自立」をテーマにしていました。僕は最初、夫婦は「郷愁」で山にいると思っていました。でもあるとき「本当にそうかな?」って思ったんです。それが寅夫じいさんが亡くなったとき、「じいさんは農業をしたかったんだ。」って気付いたんです。「自分たちが食べるものは自分たちでつくらなきゃ」というのが二人の口癖でしたから。「ふたりの桃源郷」とは自分たちで畑を耕して、食物を育て生きることだったんです。

最後に。今後はどのようなことを追いかけていくんですか?

佐々木

戦争のことは今後も続けなくてはならないですね。今日も関連した本を20冊購入しました。渡部さんが使っていいっていってくれて(笑)次作のためにどんどん取材したいです。戦争の抑止にもなってほしいし、そういうことをちゃんと伝えていきたいです。それから戦争以外にも継続して取材しているのが4つも5つもあるし。新しい出会いも大切にしたい。挑戦とか、大げさなことじゃなくて、目の前のことを追いかけていくこと、やり続けることが大事ですね。





[Profile] アナウンサー  成田 弘毅(なりた こうき)
2014年4月入社。福岡県出身。現在、テレビでは月曜『KRYニュースライブ』の「ライブスポーツ」のコーナーや
『熱血テレビ』など、ラジオは水曜日の「お昼はZENKAI ラヂオな時間」(平日12:00~15:30)を担当



1年目のビッグイベント

入社されて印象に残っていることはありますか?

成田

入社1年目のときに印象的なことがありました。ひとつは10月に開催された当社のイベント『秋祭り』。日テレ『スッキリ!!』の「アナサー男子3人衆(森圭介アナ、藤田大介アナ、青木源太アナ)」というユニットが『秋祭り』に来てくれることになったんです。でも森アナが仕事で来られなくなり、急遽自分が代役ではいることになりました。「ダンスはできるか?」と聞かれて、大学時代はエアロビをやっていたこともあり「踊れるかもしれません」といって(笑)踊ることになりました。そして、もうひとつは、『スッキリ!!』の地方局がお勧めする「スゴイッス」っていうコーナーをまかせてもらったことです。。新人の僕にとっては本当にビッグイベントでした。

2年目の現在は何を担当されているんですか?

成田

夕方のニュースが4月から新しくなったのですが、そこでスポーツキャスターとして毎週月曜を担当することになり、日々の取材はスポーツが主になってきましたね。小学生から大学生までのアマチュアと、プロスポーツJ3のレノファ山口を取材しています。

今度J2にあがりますよね?

成田

はい。スポーツキャスターとしても非常に嬉しいですね。1回目に試合を見たときとJ2昇格をかけた最終節のときと、ファンサポーターの熱の高まり具合が全然違いました。それを肌で感じるのもやりがいを感じますし、それをしっかり伝えなくてはと思います。僕は福岡出身で山口のスポーツ事情をまったく知らないので、とにかく現場に足を運ぶことが必要だと考えています。




ラ・テ兼営局のよさ

ラジオも1年目から担当されているんですよね?

成田

1年目の10月から3時間半のお昼のワイド番組を担当しています。出演できる場所がラジオとテレビと両方あるのはアナウンサー冥利に尽きるなと思いました。ラジオはいかに言葉で表現するかというのが問われるメディアです。色とか形とかテレビではみればわかりますけど、ラジオだとそれをより細かく言葉で伝えないとイメージできない。先輩から“イメージさせるメディア”だと教わってから、ラジオって言葉でなんでも表現できる楽しい世界なんだと気づきました。



ラジオの面白さとはなんでしょうか。

成田

双方向なメディアという点ですね。リスナーさんと生電話で触れ合えたり、リスナーさんからの投稿で初めて教えてもらう情報もあったり、一緒に番組をつくっている感じがあるところが好きです。

ラジオの経験をどうやってテレビに活かしていますか?

成田

テレビでは2年目から中継レポーターになって、スタジオの外にいることが多くなりました。自分が見たものや聞いたことをスタジオに向かってレポートするのですが、その描写表現の幅が増えたのかなって感じています。現場で感じた温度や香り、色、触感などをより詳しく伝えられるようになりました。ラジオのおかげですね。

逆にテレビの経験がラジオに活かせたことは?

成田

テレビ中継の反省会で「ここは色の変化を言葉でもっと表現するとよかったね。」といわれたりするんですが、そんなとき「ラジオならその2倍わかりやすく伝えないと伝わらないな!」って思いました。うちはラ・テがあるのでそういうことに気付けます。

ラジオ番組で苦労されたことは

成田

1年目から3時間半しゃべらなくてはいけなくなって、日々の生活で面白いこと、楽しいことって何かな?って探すようになりました。それに伴い私生活もずいぶん変わりましたね。まず外にでるようになって、いろいろな人と話すようになりました、それも山口の人と。山口のことも、山口弁も覚えなきゃいけないと考えていたからです。山口弁で話すとグっと近づけた感じがあるんです。

具体的にどんな風に勉強されているんですか?

成田

初めはバスに乗ることを実践しました。よくわざと相席をして「今何の帰りなんですか?」とか「このバスはどこまで行くんですか?」とかとか聞いてみるんです。これがとても勉強になります。他にもひとりで居酒屋いって教えてもらうこともありますね。

効果はでてきていますか?

成田

積み上げたことがちょっとだけ出るようになってきたのかなと感じることがあります。昼のラジオも変わってきました。リスナーさんにも「スムーズに話を展開できるようになったね」といわれました(笑)

「熱血テレビ」の中でも山口の方と触れ合うコーナーがありますね。

成田

『成田こーきと申します!』というコーナーです。1年目の長井アナウンサーとよく取材先で間違われるんですよね~」とディレクターさんにいったら、「もっと山口の人と触れ合わなきゃだめだよ」と、わざわざ企画してくれました。

どんなコーナーなんですか?

成田

僕の名刺を配って知ってもらうというコーナーです。配ることで地元の人と触れ合って、山口のいいところを探すのが目的です。名刺を配った人におすすめのスポットを聞くと、雑誌とかには載っていないようなところを教えてくださるんです。山口出身のディレクターでも知らないことがでてきたり、いろいろな発見がありますね。名刺は1万人に配る予定です!

今、何か課題はありますか?

成田

僕の場合、いかに“山口県人”になれるかが課題です。先ほどのバスの例もそうですが、サイクリングでいろんなところを回って地名や地形を覚えるようにしています。たまに道に迷って(笑)それが地元の人と話すきっかけになったこともありますね。ナビを使わなくても山口県を案内できるとか・・山口県人になれるといいなと考えています。

今後挑戦したいことはなんですか?

成田

大学時代、ABCラジオでバイトをしていたんですが、そこでラジオドラマの面白さを学んだことがあって、いつかラジオドラマやりたいと思っています。あとはスポーツのほかにも音楽が好きなので、局主催で音楽イベントを企画したいですね。そういうことやっているのはFM局が多いと思うんですけど。実はここ周南ってライブハウスが多いんですよ。だからそういうところと組んで、フェスとかやりたいなと考えています。県外から若い子達が来て湯気を出すほど熱くなってくれればいいですね!

× 閉じる

[ 熊本県民テレビ ]

赤星 裕一郎

YUUICHIRO AKAHOSHI

営業局 営業部/部次長

畑中 香保里

KAHORI HATANAKA

若手応援特集

報道局 アナウンス部

▼CLICK !

※本誌の熊本県民テレビ取材記事はこちらから(Synapse vol.9に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/009/02.html


[Profile] 営業局 営業部/部次長  赤星 裕一郎(あかほし ゆういちろう) 1997年入社

『夢まちランド』が始まった経緯をお聞かせください。

赤星

実は、『夢まちランド』には前進となる「テレビタ感謝祭」というイベントがあって、『テレビタミン』5周年の感謝の気持ちを伝えようと2002年に始めました。2日間で8万人以上が来場するという加熱ぶりで、混雑し過ぎて危険だったので、当日の生放送で「来場しないでください」と呼びかけたほどです。午前10時の開場なのに、早朝6時頃からお客様が並び始めて、開場前の時点ですでに人だかりができて、周囲の道路も渋滞になったり、テレビタミンのMCを務める本橋さん開発の「モッちゃんラーメン」も1時間で4,000箱が完売したりと、それはもう凄いイベントでした。この「テレビタ感謝祭」は開局1期生が中心となって立ち上げ、2010年まで隔年で開催してきたのですが、どんなに凄いイベントでもずっと続けているといつかは飽きられます。そんな時、実行メンバーを若手主体にして新しい一歩を踏み出すように号令がかかりました。そこで私も参画して『夢まちランド』を立ち上げたんです。毎秋開催のこのイベントは社員総出の大祭りです。県民の皆様からは大好評でして、営業先をまわっていても、有り難いことに「何かやるなら、まずはKKTと」と仰っていただいて、実際に広告のお話をいただいたりしています。

『夢まちランド』というネーミングには、どう意味が込められているのでしょうか?

赤星

誰もが行きたくなる“夢のまち”。みんなが集まって“夢の訪れを待つまち”。熊本の中心市街地である桜町一帯に、そんな「まち」が突然現れて、そして2日間で“夢のように”パッと消えてなくなる。そんなイメージからつけた名称ですね。

『夢まちランド』は2012年に第1回目を開催されましたよね。
その頃の熊本県の経済環境や社会環境はどういう状況だったのでしょうか?

赤星

ちょうど2012年は4月に熊本市が政令指定都市になり、また熊本に九州新幹線が開通してから1年経過したというタイミングでしたし、加えて当社も開局30周年だったので、内外ともにとてもいいタイミングだったように思います。

『夢まちランド』になってからは毎年開催されているので、既に4回開催されていますが、
そのご苦労や面白エピソードを聞かせていただけますでしょうか?

赤星

苦労も面白エピソードも山のようにあって、何をお話すればいいのか迷います(笑)。 面白エピソードとしては、2013年に開催した第2回目の『夢まちランド』で、「夢まちバルーン」という催し物をやったんです。この企画はもともと、熊本城や百貨店、公園などに囲まれた空間を駆使して、何かアトラクションが出来ないか?というところから始まりました。で、具体的に何やるかを実行委員のメンバーで話し合ったんです。でもアイディアが全然出ない。で、飲みにいって延々、その話をしたけど、いまいちパッとせず。で、「現場に行ってみよう」という話になって、酔ったまま現地を散策しながら見てみたんです。そしたら、「このビルとそのビルとあのビルにネット貼って、風船貯めて一斉に飛ばしたら面白くない?」みたいな話になって。翌朝、早速イベント会社に持ち込んだら、「イヤイヤそれは流石に無理です。でも、こういうやり方だったら出来るかもしれません」みたいな感じで、成立させていった企画なんです。この「夢まちバルーン」は、今や『夢まちランド』を象徴するコンテンツです。具体的には、4,000個の風船に来場者の皆さんそれぞれの“夢”を書いてもらって、バルーンタワーにためておき、夕方になると一斉に空に解き放つんです。皆さん、真剣に“夢”を書いてくれてて、カメラマンが近づくと風船をサッと隠されちゃうんですよ。そこまで真剣に書いてくれてるのがうれしくて。個人的にも思い出深いエピソードのひとつです。

さらに、昨年は『夏まちランド』も開催しておられます。こちらが開催されることになった経緯は?

赤星

このイベントは熊本市のコンペ案件だったんです。「県民百貨店」という熊本市の代表的な百貨店が閉店になったことなどもあって、熊本の中心市街地から火の国まつり、そしてアーケード商店街の活性化などを目的としたイベントコンペに参加するように依頼があって。結果、当社を選んでいただいたのですが、「テレビタ感謝祭」や「夢まちランド」での実績もあったので、熊本を活性化するイベントができるのはKKTというイメージを持って下さったのかなと想像しています。」

『夏まちランド』での苦労話や面白エピソードを聞かせていただけますか?

赤星

またまた、面白エピソードになるのですが、“ナツマチノモリ”という、子供たちが自然遊びが出来るようなゾーンを作ったんです。カブトムシなどの昆虫を探そう!という趣旨で。それで、いざカブトムシを用意しようと思ったら、カブトムシって結構高いんですよね(苦笑)。かと言って、安い外国産を購入するのも何か違うなと思いますし。ある程度の数のカブトムシがいないと我々としても格好がつかないので、結局社員が仕事を終えた後に捕まえに行くことにしたんです。一番たくさん捕まえた人には1万円!という賞金までつけて。私は早朝に穴場スポットに行きました。結果、1位は系列会社の人で100匹を捕獲!知人のネットワークを存分に駆使したそうです。まあ2位の90匹も凄いんですけど(笑)。専務もゴルフ場2箇所に依頼して、60匹は捕まえていました。

先ほどの『夢まちランド』でのカブトムシの話もそうですが、
御社の「熊本県民の皆様を楽しませよう」という、そのサービス精神がすご過ぎです。

赤星

今や、夏は「夏まちランド」、秋は「夢まちランド」と年2本のイベント開催で大変ではありますが、社員も楽しみながらやっています。人を喜ばせることが本当に好きなんですよね。これからもまだまだ熊本県をとことん盛り上げていきます!

今年の両イベントも頑張ってください!





[Profile] 報道局 アナウンス部  畑中 香保里(はたなか かほり) 2008年入社

畑中さんは、もともとテレビ局志望だったのですか?

畑中

高校時代からアナウンサーへの希望は持っていたのですが、大学入試は得意科目で受けたため理系に進学しました。

技術系でもないのに、理系からテレビ局!?

畑中

理工学部だったのですが、もっと人の気持ちに触れるような事をしたいなぁ~と思うようになって、3年生くらいからアナウンサースクールに通うようになりました。結果、当社に拾ってもらって良かったです(笑)。

大学時代の勉強が今のお仕事につながるようなことってありました?

畑中

生物が好きだったので、遺伝子のことも学んでいたんです。その中でも特に印象的だった授業が、生命倫理という授業で、受精卵を沢山作って、その中からいい受精卵をひとつ選別し、子供になる可能性のあった残りの受精卵は廃棄するような時代になっていくという授業があって、その内容が忘れられずにいたんです。そういう事をテーマにした番組が出来るようになったらいいなという淡い希望は入社時もあったんですが、何年かして実際に【現場発!「産みの選択~命と医療のはざまで~」】につながっていくことになるんです。

入社後の経歴をお聞かせください。

畑中

2008年に入社して、最初の5年間は情報番組のリポーターで、楽しくワイワイする仕事が多かったです。他にも土曜朝の情報番組の立ち上げから参画して、司会や毎週の企画提案やらせてもらいました。ただ入社時から、ドキュメンタリーなど人によった番組をやりたいというのがあって、報道を志望していたのですが、2013年ぐらいから報道の仕事がメインになってきて、取材活動をする時間が多くなっていきました。

『産みの選択』を作ることになった経緯をお聞かせください。

畑中

取材活動を始めてまもなく、赤ちゃんポスト『こうのとりのゆりかご』で有名な慈恵病院を担当することになったんです。ここには妊娠・出産に関する深刻な悩みが日本中から日々寄せられているのですが、出生前診断で「胎児に障害があるかも」と宣告されて悩んでおられる方々のことがすごく気になったんです。それと同時期に、熊本大学病院でも新型出生前診断という血液検査だけで、ダウン症などの3つの障害が出産前に分かるようになるという発表があったり、先にお話しました大学時代の生命倫理の授業のこともあったりして。

ずっと心にひっかかっていたテーマだったんですね。

畑中

そんな頃、自分が通っていたヨガ教室で、先生とマンツーマンだった日に『実は今、妊娠三ヶ月なんだけど…』とある悩みを打ち明けられたんです。先生の家系は、男性だと障害が出る可能性が高い家系で、兄弟などに実際に障害がありました。一回目の妊娠時には性別が男の子と分かって、中絶という苦渋の選択をされたので、今回の妊娠でまた男の子だったら…という悩みでした。大学時代からのひっかかりと様々なタイミングが重なって、「取材させていただけないでしょうか?」とお願いをしました。

先生の反応は如何でしたか?

畑中

先生も度胸のある方で、OKを下さったんです。「今後技術が発達していったら、私のような出生前の悩みを抱える人が増えてくるかもしれないので、私でお役に立てるならどうぞ」って。それで2013年11月から取材を開始しました。

制作の過程で、一番ご苦労された点は何でしたか?

畑中

私自身、はじめてのドキュメンタリーということもあって、頭の中がきちんと整理出来ずに取材が進んでいって、ある時、デスクから言われたんです。このままだと、一人の女性が家系の問題もあって悩み、決断をし、でも産みました…で終わるよ。もっと取材を通して、日本社会の課題を浮き彫りにするところまで掘り下げないと、って。

でも、その話をされる時点で、かなり撮影が進んでたと思うのですが、どうリカバリーを?

畑中

先生が産む決断をする際に“遺伝カウンセリング”に助けられた、と話していたのを思い出したんです。もし障害があったら、こういう現実があり、一方でこういうサポート制度がありますと、医師がカウンセリングをして患者の決断を手助けします。これから、この遺伝カウンセリングに対する社会的注目やニーズが高まるのでそこを描こうと。でも、先生の遺伝カウンセリングは既に終わっているので、追加で別の方のカウンセリングの場を取材させていただこうとしたのですが、あまりにもセンシティブな内容なので、全然許諾を得られず、病院内で撮影の交渉をしては断られ..を延々と繰り返しました(苦笑)。

はじめての作品だったので、他にもご苦労あったりされたのではないですか?

畑中

シーンが足りないという指摘もされました。せっかく使えそうなシーンがあっても、途中で私が話しかけちゃったりしていて。「何でここで話しかけたの!?」と言われたりしました(苦笑)。先生が苦悩していて、「うーん….」とうなってるところで、こちらが待てば表情が変わったり、何か変化が起きたりしたかもしれないのに、待てずに私が話しかけちゃってたんです。先輩に言われたのは、頑張って黙ると、何か発してくれたりするかもしれないから、そこは話しかけたくなっても頑張って黙って待たないとダメよ、と言われました。

そんな様々なご苦労がありながらも、日本放送文化大賞のグランプリ候補にノミネートされて、
一本目から大作でしたね!次に取材したいテーマとかおありですか?

畑中

「“こうのとりのゆりかご”が2017年で丸十年を迎えるので、もっと追ってみたいです。あとはお母さんになった女性が育児もしながら、どうキャリアを築いていけるのか?というのもやってみたいです。様々な女性の生き方にスポットを当てていきたいと思っています!」

次回作も是非拝見したいです!これからも頑張ってください!!

× 閉じる

[ 静岡朝日テレビ ]

長田 良

RYO OSADA

若手応援特集

編成業務局 編成部/事業局 事業センター ビジネスコンテンツ部

▼CLICK !

※本誌の静岡朝日テレビ取材記事はこちらから(Synapse vol.8に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/008/02.html


[Profile] 編成業務局 編成部/事業局 事業センター ビジネスコンテンツ部  長田 良(おさだ りょう)
2009年入社。「地方局若手社員発!反逆WEB放送局 SunSetTV」立ち上げメンバーの一人


SunSetTVとは >>> http://sunsettv.jp/

SunSetTVはどのように始まったのでしょうか。

長田

2012年あたりに経営戦略の一環でとにかくいろんなことやってみようと社内で3つくらいのプロジェクトが立ち上がりました。そのうちの1つに「F1・M1プロジェクト」というのがあったんです。F1・M1の個人視聴率が弱くて、当社としてなにかできないか?中長期的に見てファンを増やしていこうという大命題がありました。それで各部署から若手20代を中心に集められ、アイディアを出し合ったんです。僕らは「今のF1・M1はテレビをそもそも見ていないので、ウェブを中心に展開したいです。」ということを提言し、なにか仕掛けてみようということになりました。まずは静岡朝日テレビとか関係なく、ウェブのファンになってもらう。そして結果的に静岡朝日テレビに還元できればいいなっていうのがもともとのアイディアです。

『反逆WEB放送局 SunSetTV』とはキャッチーですね。

長田

最初のコンセプトよりはずいぶんソフトになったんですが(笑)まずは「反逆」というものをコンセプトに掲げました。今のままじゃ若者がやりたいことができないよ!会社に対して反逆しよう!と。僕らの内からでてきたリアルな想いっていうのもありますし、僕たちが取り込もうとしている若者たちも学生だったら、親とか、先生、学校。社会人だったら上司、会社とか。上に対しての反逆や、憤りを感じている部分があると思うんです。そこにシンパシーを得たかった。「あいつら、おもしろいことやっているぜ、俺らの気持ち代弁してくれているな」みたいなところに共感してファンになってほしいなと。「SunSetTV」という名前も朝日に対する夕日という意味なのです(笑)

会社からOKが出るまでは大変だったのではないですか?

長田

12年くらいからスタートして、本格的に世の中にお目見えしたのは今年の1月なんですよ。約2年もの間、社内を通す作業と社内調整に追われていました。その間に僕らの反逆のエネルギーが益々溜まっていったんです。最初は若手に刺さるなにかを始めろという命題をいただいて、僕らもこれがやりたいって主張したのですが、それに対して社内の偉い方々からご指示・ご指摘・いちゃもんなどをたくさん頂きつつ(笑)いろいろあって、一難去ってまた一難みたいな形でしたね。

どう乗り越えたのでしょうか?

長田

幸いにもチャンスは与えられているので、逆に「利用してやる」ぐらいの勢いでいました。もともと多少の壁は想定してましたし。それに絶対面白いものがスタートするなってドキドキ感は常にあったのでぶれなかったんだと思います。最終的に残ったコアなメンバーが僕を含めて3人いるんですけど、その3人はゆるがないものがあったと思います。

開始してから半年以上が経ちますが、やってみて気づいたことはありますか?

長田

僕らの中で今は第二章と位置づけているんです。第一章は今年の1月から始まり、5月まで。第一章では、単純に週1本動画を作って、YouTubeとニコニコ動画で配信してたんですけど、1クールくらい終わったところで見直すことになりました。動画はワンノブゼムにして、テキスト記事も含めた総合コンテンツサイトみたいな形でやっていこうと、再スタートしたのが8月からですね。

見直すきっかけはなんだったのでしょうか?

長田

動画の制作は東京支社の会議室をスタジオに見立ててやっていました。立会いで2週に1回東京にいって、経費削減のために機材をこちらから持っていって。僕らスタッフもそれで結構消耗してしまったんです。また内容的にもニッチな層にしか刺さっていないという感触があって、これ以外の形でもファン層を広げたいなと考えたのがきっかけです。

ウェブ動画を制作することで何か気づかれたことはありますか?

長田

第一章では10分もので作っていたんですが、短い方が再生回数が稼げることに気づきました。だから第二章からは5分前後にしてみました。第一章は基本のフォーマットがあったんですが、第二章はコーナーだけを独立させて、単発作品として見たい回だけみてもらえるよう、よりウェブになじむ形にしました。

つくる上で工夫していることはなんでしょうか?

長田

今の若い人たちって変になんでも見透かすところがあると思います。反逆して始めたといっても「会社の金でやってんだろ」って思われそうとか。設定を徹底しておかないとついてこないなと思って、ストーリーの部分や自己紹介も含めて具体的なエピソードとか、上司の不満とか、やりたいことができないこととか。とことん隙をつくらないようにしました。

昔と比べて若者が変わってきたと思うことはありますか?

長田

僕らが中・高校生のときは「この番組見た~?」と盛り上がっていたんです。でも今はどちらかというと「この動画知っている?」みたいなことで盛り上がっている。他の人が知らない動画を見つけてきて、周りにしらしめる、「俺こんなのみつけたぜ」って。どんどんニッチになっていっている気がしますね。「みんなが知らないことを知っている俺」みたいな。音楽とかお笑いも多様化することによって、みんなと同じものが好きってダサい、と。そういうところから「地方局がこんなことやっているぜ」って注目されるといいなと考えています。

若者の心をつかむのはすごく大変ですよね。

長田

今の若者って趣味嗜好が一人ひとり全然違うんです。アニメ好き、音楽好き、テレビ好きって。これをやればみんなに刺さるっていうのがないんです。それだったらそれぞれに刺さる色んなものを発信していくことで、結果横串のように今の若者に刺さればいいなと考えています。

そもそもテレビ局を志望された理由は?

長田

番組をつくりたいって想いで入りました。でも最初は営業で、次に編成で。実際手作りで番組をつくれるところにいっていないんです。もともと何か考えて自分がおもしろいな~って思うものを発信したいという欲みたいなものがあったので、ここSunSetTVで発散していますね(笑)

テレビ番組の制作より先にウェブ動画を制作ってめずらしいですね。

長田

そうですよね。でも制作しているときは、ワクワク感があります。それだけが原動力です(笑)今はこの仕組みで走り始めたばかりです。定期的にコンテンツを供給する段階ですが、今後は広報活動をして、もっといろんな人に見てもらいたいですね!

最後に、大きな話になってしまうんですが・・
今後ローカル局を盛り上げていくためにはどうすればいいとお考えですか?

長田

個人的な野望なんですけど・・・ローカル局っていうのを逆手にとった方がいいと考えています。ローカル局なのにウェブでこんなのやっているとか、ローカル局なのにこんな番組つくっているとか。最終的には全国とか世界に対して発信したいなと思います。幸いにも今はウェブがあるんで制約はないですよね。静岡県内では視聴率で戦っているのは民放4局+NHKだけですけど、コンテンツプロバイダーとしての側面から考えると競合は民放だけでも約120局あるわけですよ。だからその中で差別化していかなければいけない。当社のコンテンツを、地上波であれ、ウェブであれ、イベントであれ、おもしろいことをやっているぜ!っていうのをもっと発信していきたいです。

× 閉じる

[ 岡山放送 ]

渡邊 大祐

DAISUKE WATANABE

若手応援特集

編成制作局 アナウンス部

▼CLICK !

※本誌の岡山放送取材記事はこちらから(Synapse vol.8に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/008/01.html


[Profile] 編成制作局 アナウンス部 渡邊 大祐(わたなべ だいすけ)
2011年4月入社。現在、「ミルンへカモン!なんしょん?」の取材・中継レポーターとして活躍中。


テレビ番組「ミルンへカモン!なんしょん?」 月~金曜 15:50-16:50  土曜 9:55-10:55放送
https://www.ohk.co.jp/nansyon/

渡邉さんが、岡山放送に入社されてからのご経歴をお聞かせください。

渡邉

現在、入社して4年目でして、1年目は報道部に配属されました。記者活動したり、取材したり、原稿書いたり、自分でニュース読んだりしていましたね。今やらせていただいているような情報番組をやりはじめたのは2年目の秋からです。

最初に配属された報道部は、どんな感じでした?

渡邉

毎日怒られながら、鍛えられた時代ですね。まさに修行の時代でした。
たとえば、配属されてほどなくしてから、天気予報のコーナーを担当させてもらうようになったのですが、予報に入る前に、まずは一ネタいれることが基本ルールになっていて、ある真夏日の天気予報で、不快指数の話をしようと思ったんです。不快指数というのは、気温と湿度で表現した人間が生活するうえで不快に感じるような体感指数のことなのですが、はじめに『皆さん、不快指数ってご存知ですか?』と言いたかったのに、急に緊張の波がきちゃって、頭が真っ白になって、口がまわらずにシドロモドロになってしまったんです。もう何が不快って、私のトークが一番不快!という放送になってしまいまして…(苦笑)。ほんと、なぜか急に頭が真っ白になっちゃったんですよ。。。他にも、岡山の後楽園で中秋の名月を見ようという鑑賞会があって、その中継時に、幻想的な琴の音が流れてくるはずのタイミングなのに、いっこうに流れてこなくて、また焦ってしまって、「あれ、琴の音色が流れてきませんね。あれ?まだかな??あれれ??あれれれ???」みたいになってしまって、放送後に「1年半、報道で何してたんだ!!!」って怒られながら、今の制作に送り出されました(笑)。アナウンサーは厳しい世界だな、と感じた次第です。

たとえば、今その時の後楽園のシーンに出くわしたら、どう対処しますか?

渡邉

「今なら、『まだ琴の音が流れてこないですね。どうしたのでしょうか』などとコメントでうまく間をつなぎながら、落ち着いて対応できるのかなと思います。」

それは成長の証ですね!では、1年目の厳しい修行時代を乗り越えた渡邊さんが、突き抜けた瞬間ってあるのでしょうか?

渡邉

「日本三大奇祭の一つである“はだか祭り”という、毎年2月に岡山市の西大寺で開催されるお祭りに中継で参加した時ですね。そのお祭りは、午後10時に電気がぱっと消えたと同時に、宝木(しんぎ)と呼ばれる木が上から投下されて、それを数千人の男の人たちが激しくぶつかり合いながら奪い合う祭りなのですが、そこに参加している闘志むき出しで、アドレナリン全開の参加者の方々を取材していたら、一緒に行きましょう!という流れになって、その流れに身を任せているうちに、水行もやるし、真冬の深夜にふんどし一丁だし、大事なところも出るか出ないかという放送事故になるかならないかの瀬戸際の状況だしという色んな危機的な状況が重なって、何かが自分の中で吹っ切れてしまって、『もう何だってできる!!』という感覚が芽生えてきて、それがきっかけで突き抜けたような気がします。」

『なんしょん?』の放送で、ご自身で気をつけておられることはどんなことでしょう?

渡邉

夕方なので、まずはテンションをあげていかないといけないと思っています。 それから、このエリア内の他局のアナウンサーや東京キー局のアナウンサーと同じことをやっていてはダメだという想いが強くあります。たとえば、これは自分の中だけの裏テーマなのですが、1回のレポートで最低2回はギャグを放り込む、という目標を掲げています。必ず笑いをとるんだ!と。それはアナウンサーの仕事じゃない、と色んな方々にご指導もいただくのですが、でも、これまでのテレビとも、また他で見られるようなテレビとも同じではダメだと思っているので、果敢に挑戦しています。まあスベってばかりなんですけどね(苦笑)。それでもスベるためには、まずは挑戦していなければスベれないので、『スベってるということは挑戦しているという事なんだ!』と毎日自分に言い聞かせながら、チャレンジしています。」

放送中以外の部分では、どんなことに気をつけておられますか?

渡邉

岡山県・香川県の人たちが集まりそうなお祭りやイベントについては、ネットやアプリだけでなく、新聞も雑誌もとにかく情報収集をして、企画会議でも取材をしたいと言い続けて、実際に取材させてもらうようにしています。

渡邊さんが、御社の社業に貢献するために、今どんな事をお考えですか。

渡邉

今はまだそんなステージにいないのですが、いつの日か『岡山放送にワタナベというアナウンサーがいる』ということを岡山県・香川県の皆様にご記憶していただけた時に、やっと会社に貢献できるのかなと思っています。そのためには、毎日の過ごし方が非常に大事で、日々120%やったという自信を積み重ねてやっていく以外ないと思っています。毎日やり切ったと思えるように、取材やロケハンの中で、必ずどこかに面白いことがあるはずだと信じ、また探しながら日々活動しています。


有り難うございました!これからも頑張ってください!

× 閉じる

[ 秋田朝日放送 ]

藤盛 由果

YUUKA FUJIMORI

若手応援特集

報道制作センター アナウンサー


テレビ番組『スーパーJチャンネルトレタテ!』

社内探訪

▼CLICK !

※本誌の秋田朝日放送取材記事はこちらから(Synapse vol.7に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/007/01.html


[Profile] 報道制作センター アナウンサー 藤盛 由果(ふじもり ゆうか)
2012年入社。担当テレビ番組「サタナビっ!」(毎週土曜9:30-11:00)


アナウンサーを目指したキッカケはなんだったのでしょうか?

藤盛

中学・高校では放送部に入っていたのですが、中学1年生で始めたばかりのころコンクールで、全国大会に出させていただいたんです。そのとき審査員の方に「君は読みの技術はないけど、声がいいからひろってみた」っていっていただき、それがすごく嬉しかったんです。それまで自分の声のことを考えてこなかったので、そういう見方というか、聞き方をしてくださって、評価をしてくださる方がいるんだと思ったのが声に対して興味をもったきっかけです。それにダンスとか歌とか身体表現を色々やってきて、何かを表現するというのを仕事にできたらいいなって考えているうちのひとつにアナウンサーがありました。

藤盛さんが入社されてからご担当された番組はなんですか?

藤盛

最初は夕方の番組のお天気コーナーでした。初日はいつ始まっていつ終わったかわからないくらい緊張していました(笑)天気予報は未来を語っている情報なので・・・、「~になるでしょう。」「~になる見込みです」って語尾は未来形なんです。それまでそういう原稿を練習したことがなかったので戸惑い、未来のことを話すって難しいなって思いました。結局、天気予報はトータルで3年くらいやらせていただきました。

2014年から「サタナビっ!」のMCになられましたが戸惑いもあったのではないですか?

藤盛

そうですね。ニュースのときは45分だったのが、「サタナビっ!」は1時間半あるというだけで未知の領域でした。スケジューリングがわからなかったですね。たとえばニュースだとある一日一日で一区切りつくものが、「サタナビっ!」は1~2週間ぐらい先のことを考えてスケジュールを組むので最初は慣れなかったんですよね。あとはロケも初めて。町でばったり会った人に話を聞いてその人がどんな人か聞くんです。そういうのは初めてだったので、こんなにどっと疲れるものなのかと思いました。今では楽しんでロケにいけるようになりましたけど。

楽しめるようになってきたきっかけのようなものはあったんですか?

藤盛

転機は取材対象の方に話しやすいといっていただいたことですね。「サタナビっ!」の歴代の女性アナウンサーは全員県外出身の方で、地元秋田出身は私が初めてだったんです。だからロケ先で地元の方になまりではなしていただいたら、アナウンサーだということを忘れてつい秋田なまりで返してしまうんですよ。それで話しやすく思ってもらえればいいのかなと考えています。それになまりが出るほど自分も自然に話せるようになったのかなと思います。意気込まなくなったんですね。もしかしたら見ている人にもそういうのが伝わったのかもしれません。

共演者の方たちとも最初から仲がよかったのですか?

藤盛

ZENさん含めて出演者方々が受け入れてくださっているのでスムーズに入れました。今でも出演者同士でよく話したりしています。CM中も会話が多いのですが、あれがないと本番もなんだか変なんです。ぎこちなくなっちゃう。今日のそれぞれの出演者のテンションとか、なんとなく「あぁ、今日いっぱいしゃべる」とかわかるんです。ずっと携わっているスタッフ陣もそうだと思います。だからその日の調子のようなものを確認して、「これが足りないならこっちの人これやろー」みたいなことが自然とできているのかもしれません。みんな「サタナビっ!」ファミリーみたいな言い方をしているのでZENさんがお父さんで、小生意気な娘がいるみたいですよね。スタジオがプチお茶の間っぽくなっていてVTR見ながらあーだよね、こーだよねっていっている感じが小窓に入っている感じです。

番組を作る上で工夫されていることなどありますか。

藤盛

今日ちょっと自分の話す量を減らしたぶん、相手にしゃべってもらおうかなとか、話すのもこっちの人にふってからはなしてもらおうかなとか、分量を変えたりします。それがうまくできなくて試行錯誤して失敗したーとか思う日もあるんですけど(笑)

今後の目標を教えてください。

藤盛

秋田の一番身近なアナウンサー、秋田のアナウンサーといえばこの人だよね、という存在になれればいいなと考えています。AABも秋田を知っている人が必要で採ってくださったと思うので、自分の役割は一番はそこですね。なまりは許してください(笑)これからもどんどん取材し、ロケに行って秋田の方々とお会いしたいです。人と話すのが好きでこの仕事をしているという気持ちを忘れないようにしなきゃなと思っています。



社内探訪>>> 『スーパーJチャンネルトレタテ!』生放送中!の様子



「スーパーJチャンネルトレタテ!」は平日夕方の報道情報番組。14年半続いた「スーパーJチャンネルあきた」の後を受け、この春、「脱、王道ニュース」をコンセプトに内容を一新して、スタートを切った。

× 閉じる

[ サンテレビ ]

家村 栄輝

SHIGEKI IEMURA

報道制作局 制作部

渡邉 弓奈

YUMINA WATANABE

営業事業局 本社営業部 企画開発部

▼CLICK !

※本誌のサンテレビ取材記事はこちらから(Synapse vol.7に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/007/02.html


[Profile] 報道制作局 制作部 家村 栄輝(いえむら しげき)
制作会社勤務を経て、2005年入社。「カツヤマサヒコSHOW」担当ディレクター。


テレビ番組「カツヤマサヒコSHOW」 毎週土曜 23:30-24:25放送
兵庫県随一(?)の教養番組 http://sun-tv.co.jp/katuya/

まず、この番組はどうやって始まったのでしょうか?

家村

サンテレビだからこそできるチャンレンジをしよう!というところから始まっています。地元密着番組ではない路線ってないのかな?という点と、一方で在阪局ではやらない番組って何だろう?という点から考えました。プロデューサーとも『毒をもって毒を制する』番組にしようと(笑)。勝谷さんご自身が兵庫県出身ということもあって、初の冠番組が地方局で実現しました。

毎週のゲストの方々の顔ぶれが非常に多彩ですが、どのように選んでおられるのでしょうか?

家村

勝谷さんから「この人とやってみたい」という話をもらいつつ、我々制作スタッフ陣からも、勝谷さんに「こういう方はいかがでしょう?」と提案して、一緒に決めています。勝谷誠彦さんがMCだったらという事で、受けていただけるゲストの方も沢山いらっしゃるので、ゲストに依頼する部分では非常に助かっています。

企画会議はどういう感じで進行しているのでしょう?

家村

企画会議は週1回、構成1名とディレクターは私含めて3名、そしてアシスタントの榎木アナウンサーとプロデューサーの計6名でやっています。勝谷さんはどんなことを話すんだろう?というところからスタートして、「ゲストがこの方だからこういう話になるかも」という想像をしながら、番組の流れを掴んでいます。というのも、勝谷さんは、事前打ち合わせは一切しないんです。「オレはやらないよ」って(笑)事前にMTGしちゃうと、どうしても普通の“テレビ”になってしまうので、“テレビ”にしないためにも打ち合わせはナシで、いきなり収録するようにしています。制作スタッフ全員が“テレビ”にならないように!というのは気をつけています。」

編集面で工夫しているのは、どんな点でしょう?

家村

客観性を大事にするために、収録から2週間ほど空けて、頭をクールダウンしたうえで編集に入るようにしています。収録終了後すぐに編集すると、どうしても強烈な現場の雰囲気に引きずられてしまって、初めて番組見る人の視聴者感覚が欠けてしまいますからね。

反響があった放送回は?

家村

ジャンルは様々ですが、やっぱり政治家や経済界の方々などは反響がありますね。それ以外の分野では、元海上幕僚長の方は反響がすごかったです。「この人の話をじっくり30分以上にわたって聞けないよな」という方々の放送回はやはり反響が大きいですね。


そういう意味では、今回、取材させていただいた百回記念の百田尚樹さんの放送回も反響がすごそうですね。話の内容が、安保や憲法改正など、東京で普通に放送すると炎上要素が満載でしたが(笑)、実際の放送でも今日の収録は極力使うのでしょうか?それともある程度、カット?

家村

もし、個人の悪口になる要素があったとしたら、その部分は切りますけど、世の中的に炎上しそうだからという理由で、カットしたりとかはしません。むしろ、出来るだけ切らない。そうじゃないと勝谷さんとご一緒する意味がないですよね(笑)。世の中的に炎上しそうだなという内容のものでも、話の流れ・前後の文脈をきちんと見ればきっと分かってもらえると考えて、出来るだけ編集で切らないようにしていますね。百田尚樹さんも仰ってた通り、「サンテレビが守ってもしゃーないやんけ」って事だと思います。本気でやれば他局さんだって出来ない事はないと思うのですが、でもやはりこれはやりにくいぞっていう番組をサンテレビがやっていくのは、当社として生き残っていくために必要な事だと思いますね。刺激的なゲストの方々の本音のところに触れて、「そうそう、実はオレもそう思ってた!」て、言いたい方って、実は結構多いと思うんですよね。


[Profile] 営業事業局 本社営業部 企画開発部 渡邉 弓奈(わたなべ ゆみな)
「お菓子な時間」プロデューサー。2010年入社。


テレビ番組「お菓子な時間」 毎週日曜 昼12:00~12:30放送

兵庫県内の洋菓子店を毎週1店舗取り上げ、
パティシエ自慢の1品やそのお店ならではのこだわりスイーツを紹介する
http://sun-tv.co.jp/okashi_time

渡邉さんが、サンテレビに入社された後のご経歴をお聞かせください。

渡邉

「2010年に営業として入社して、いま6年目です。2014年からは営業と兼任で、企画開発部という部署にも所属しています。開局から続いているサンテレビガールズのオーディションとか他のイベントプロデュースなどをやっている部署ですね。」

入社から一環して営業畑におられるのですね。営業のお仕事はたとえばどういった業務内容になるのでしょうか?

渡邉

「いくつかの広告会社、それから自治体も担当させていただいています。自治体だと、最近では、淡路島の方によく伺っていました。というのも、今年は淡路島で『淡路花博2015 花みどりフェア』というイベントがあったのですが、このイベントを盛り上げられるように淡路島や兵庫県、それからこのイベントに他県から出展してこられる自治体などにもPRになるような提案して、仕事につなげていく仕事をしています。サンテレビは独立局ですから、東京からのスポットCMを待っていればいいという話でもないので、自分たちでどんどん仕掛けていかないといけないんですよね。まさに部署名の通り、企画してビジネスを開発していくという感じだと思います。」

営業でお忙しい渡邉さんが「お菓子な時間」を始めるに至った経緯をお聞かせください。

渡邉

「一昨年、社内で“チャレンジコンテンツ”という公募企画があったんです。営業でも制作でも技術でも応募はどの部署でもOKという趣旨で。それに応募したところ、採用されました。最初は単発モノとして制作しました。そしたら、それが他局に番販で売れたので、昨年は今度はレギュラーモノで!ということで、もう1回応募して採用され、今に至るという感じですね」

渡邉さんご自身は、もともと洋菓子がお好きだったんですか?

渡邉

「いや、実はそれが元々はそんなに食べる方ではなかったんですよね(笑)。洋菓子にした経緯は、一昨年、チャレンジコンテンツに応募する際に、最初は“お酒”をテーマにするといいかなという話をしてたんです。ただ、海外への番販を考えた際に、お酒だとNGの国も結構あるよねという話で、お酒路線は却下になりまして。じゃあ、神戸だし“洋菓子”がいいかもね、という考えで始めたんです。元々、神戸市は一世帯あたりの洋菓子消費額が日本一です。また、兵庫県の洋菓子協会は、日本の洋菓子協会の中でも一番歴史のある団体で、実際に洋菓子店の加盟店数が東京都に次いで全国二位なんです。そういう意味で、洋菓子は、この街に合ったとてもいいテーマ選定だったと思います。あと、番組を始めて分かってきたのですが、洋菓子って色んな業界とコラボしやすいんです。「お菓子な時間」のスポンサーは、自動車ディラーなのですが、軽自動車なのでお客さんの7割が女性ということもあって、車に乗ってスイーツ食べに行こう!という企画とか。他にも、材料メーカーさんと一緒にスイーツ作りませんか?とか、スポーツメーカーさんと一緒にスイーツランニングを企画しませんか?とか。色々なコラボが考えられるので、そういう提案を続けて、パートナー企業さんを一社でも多く見つけていきたいですね。」

番組を作る上では、どんなところに工夫しておられるでしょうか。

渡邉

「番販先では、いつ見られるか分からないですから、ナレーションの入れ方は注意しています。たとえば、『このお店は去年オープンして・・・』と言うのではなく、『このお店は2014年オープンして・・・』という言い方にしています。他には撮影時に、洋菓子の行程を、丁寧に画におさめて欲しいというオーダーをしています。というのも、グラサージュという洋菓子の表面にチョコレーなどを流してコーティングする調理法があるのですが、ああいうのを丁寧に画に撮っていた放送回で、かなり反響があったんです。眼をひいたんでしょうね。なので洋菓子の美しさを、完成した製品だけでなく、途中の製作工程でも表現できたらいいなと考えています。あとは、この番組で神戸市・兵庫県を盛り上げたいので、単にパティシエやそのお店の紹介だけでなく、お店がある街の名所も紹介するようにしています。番組を見てお店に来てくれた方に、その街も歩いてほしいんですよね。」

放送後の反響はいかがですか?

渡邉

「それがうれしいことに、毎週あるんですよね。『テレビ見てきました』というお客さんが何人来てくれた!とお店の方からご連絡をいただけます」

これからの抱負についてお聞かせください。

渡邉

「先ほどお話した、この番組のテーマである“洋菓子”を起点にコラボの提案営業を続けていくことで、パートナー企業さんを一社でも多く見つけていきたいなと思いますね。あとはそれと並行して番販も積極的にやっていきたいですね。営業ですから(笑)」

× 閉じる

[ 大分朝日放送 ]

上野 輝幸

TERUYUKI UENO

代表取締役社長

後藤 淳一

JUNICHI GOTO

編成業務局 編成部長

和田 祥平

SYOUHEI WADA

若手応援特集

報道制作局 報道部

▼CLICK !

※本誌の大分朝日放送取材記事はこちらから(Synapse vol.6に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/006/01.html


[Profile] 大分朝日放送 代表取締役社長 上野 輝幸(うえの てるゆき)
九州朝日放送の取締役をへて、2010年6月から現職。
「系列を超えてどなたでもウェルカムです。見学にきてください!」



就任以来、数々の改革を推進してきた上野社長。
ここでは改革の一部をご紹介します。

昨年、開局20周年にあたって社屋をリニューアル、屋外型スタジオの“ガーデンスタジオ5”の建設、
そして記念イベントの開催など様々なことをされていました。何を成し遂げようとされたのでしょうか?

上野社長

全社一丸という姿勢を打ち出すことですね。みんないうんですよ、全社一丸とか全員で・・とか。でもどこも実際やってないじゃないか!と思っていました。だから記念イベントは全従業員でやれと言ったんです。東京支社・大阪支社も全部来て、全社一丸で成し遂げました。


自然の風を感じられる屋外型スタジオ
「ガーデンスタジオ5」
コンセプトは“NASA”の管制センター、
中央の柱を中心に円形に設計されている
 

リニューアルされた報道センターも特徴的ですね。

上野社長

真ん中に柱があってかわった報道センターです。KBC時代に報道部長を6年やっていたんですが、反省会だとか、打ち合わせのときに報道部員に対してどうやったらメッセージが伝わるか考えていました。で思ったのは物理的な構造だと。普通の平場の報道センターだと伝わりにくいんです。そこで参考にしたのが大学の講義室です。階段になっているから話が伝わりやすいんですよね。それが円になればさらに伝わりやすくなって、意思の疎通がしやすいくなると思って、この構造になったんです。

ガーデンスタジオ5は撮影スタジオとしてだけでなく地域の方にも開放されていらっしゃいますよね。

上野社長

ありがたいことに、町内会の人が自分たちの庭みたいに落ち葉を拾ってくれています。それ以外にも毎日いろんな人がくるんです。だから従業員もこれまでとはぜんぜん違う人と接するでしょ。そうすると段々変化が出てきて。こられたお客さんに挨拶をするようになってきたんです。そういうのが自然に身についてきた。いい会社になりつつあるなと実感しているところです。そういう風土みたいなものが結果的にうちの財産になるんです。


ガーデンスタジオ5に併設されている社食「金様の鍵」もガーデンスタジオ5で生放送


[Profile] 編成業務局 編成部長 後藤 淳一(ごとう じゅんいち)
編成、報道、営業を経て現職。 編成の方針は「1.過去データに基づくこと。2.テレビの前に座っている人を想像すること」。 大分で唯一の自主制作深夜番組「JOKER DX」。視聴率は毎年伸び続けている。制作秘話を後藤部長にうかがった。


「JOKER DX」
企画・演出・MCに至るまで面白くなければスグ打ち切り?!
「おおいた」の色んな人、モノ、場所をユル~く紹介する“実験的"深夜番組です。
http://www.oab.co.jp/joker/

金曜深夜の人気番組「JOKER DX」は編成部で企画されたんですよね?

後藤

そうなんですよ。この春から担当を制作部にうつしたんですけど、もともと編成部が担当していた珍しい番組なんです。“ゆるい”番組が受けるといわれてますが、この番組もゆるいんです(笑)。

企画された意図は?

後藤

大分では深夜番組が一時期はやってましたけど、大分の局から深夜番組がなくなっちゃったんで、新しく作ろうと思ったんです。狙いは二つありました。一つ目は再放送用にコンテンツ化すること。深夜番組なんだけど朝でも昼でも見られる番組にしたかった。だからよくある騒がしかったりエロだったりってのはなし。もう一つは“大人”が見る番組を作るということ。深夜=若者みたいな構図があるけど、実際には夜更かしする“大人”って多いんじゃないのかな?って。いわゆるバブルを潜り抜けた人って徹夜なんて苦じゃないし、そういう“大人”が見る番組がないんじゃないのかなと思ったんです。

実際に放送してみて、反応はどうでしょうか?

後藤

数字にはっきりでているわけじゃないんですけど、明らかに番組によせられるメールがおじさんからが多い(笑)。町でMCに声をかけてくるのが大体おじさん、もしくはおじいちゃん。『うちの近くにこういう地蔵があるんだけどくる?』とか。どういう声のかけられ方だよ!っていう(笑)。

つくる上でどのようなことに気をつけていますか?

後藤

視聴者を馬鹿にしないということです。「JOKER DX」はひねりません。ひねろうとしても、視聴者は賢いからその先の展開を読みますよ。だから、「JOKER DX」では、もうばらしちゃうんですよ。ナレーションで『もうわかっていると思いますが』っていれちゃいます。正直な番組なんです(笑)。

視聴者からのメールを結構読んでらっしゃるとか。

後藤

メールおもしろいです。番組のメーン企画「豊後遺産」などに、面白いネタをもらったらなるべく行こうと思っています。双方向をしっかりやっていきたいですね。将来的に生放送になったとしてもSNS連動がしやすい番組だと思います。深夜ラジオ聴いてた世代の人とか多いと思うから、はがき職人ならぬメール職人がでてきたらいいですね。

   


[Profile] 報道制作局 報道部 和田 祥平(わだ しょうへい)
入社4年目。2015年3月に営業から報道へ異動。大分朝日放送の期待の若手社員、和田さんにお話をうかがいました。


2012年の入社ですよね?

和田

実は新卒から半年遅れで入っているんです。大学卒業して就職できなかったんです(苦笑)たまたまOABが中途募集していて、合格できたっていう。実は、大学の卒業もギリギリでした(笑)。

入社されて最初は営業ですよね。どのようなことをされていたのでしょうか?

和田

代理店を担当させてもらって、一緒にクライアントのところにいったりしていました。どれだけお客さんのご要望にこたえられるかを大事にしてきました。クライアントは実際にお客さまに会える“イベント”を求める方が多かったです。だから僕も、弊社なら「ガーデンスタジオ5」を使ったイベントができますと提案していました。

この春、報道に異動されましたが、報道希望だったんでしょうか?

和田

いえ、まったく(笑)。異動希望は出してなかったんですよ。営業の上司に『営業出身のお前をいれるということは、他部署での経験を生かして頑張れってことだ』って。それいわれて頑張ろう!って思いました。

報道にこられてまだ数ヶ月ですが、戸惑いはありますか?

和田

はい、動きがまったく違うので。営業は売って、CMが放送できた、で終わりですけど、報道は一つの事柄を徹底的に調べますよね。いつ、なにがおきて、なんでこうなったのかを理詰めで突きつめるので、繊細な作業をする部署だなと感じています。昼にニュースがあって、夕方もニュースがあって、それにあわせて各自が動いています。帰りも遅いですね。営業のときは飲みで遅かったですけど、報道は明日の準備、情報収集などで遅くなってしまいます。夜の当番などもあったりするのでそういう日はお酒も飲めませんね。

報道記者としてのコツはありますか?

和田

手探りですけど、先輩から言われたのは『どんなことでもいいから、自分が頭をひねって疑問に思ったことを全部聞いて帰って来い』って。原稿出したときにデスクから『これはどういうことなの?』って聞かれたときに答えられないのは取材をしてないのと一緒、といわれました。最初は取材しても、『はい、わかりました』ってすぐ帰っていましたけど、今は他にもなにかないかなと思って取材をしています。

最後に今後の目標を教えてください

和田

次は東京支社に行ってみたいです!


食レポをしてくれました。
「いただきます!・・・。すごくやわらかい!舌の上で鶏肉が生き返りました!」

× 閉じる

[ 南日本放送 ]

重盛 赳男

TAKEO SHIGEMORI

若手応援特集

報道制作局 アナウンサー


ラジオ番組「城山スズメの生放送中!」

社内探訪

テレビ番組「てゲてゲ」

▼CLICK !

※本誌の南日本放送取材記事はこちらから(Synapse vol.6に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/006/02.html


[Profile] 重盛 赳男(しげもり たけお)
2014年入社 報道制作局(アナウンサー)所属
担当テレビ番組:「かごしま4」(月~金曜 16:00~16:53)レポーター、「ときめきワイド」(水曜 14:00~14:30)、「たけおの鹿児島全力たび!」(不定期)など


重盛さんが、アナウンサーを志すことになったきっかけは何ですか?

重盛

高校時代に放送委員会というのに入っていて、校内放送をやったり、合唱コンクールの影アナ・影ナレとかをやっていたら、自分の声を仕事にするのは面白いかもしれないと思うようになったんです。当時の先生がとてもほめ上手な方で、『いい声だねぇ~』と言われて、うまくのせられて本気になっちゃいまして(笑)。それで、大学に入ってからも、授業でアナウンス講座を受けたり、アナウンス研究会というサークルに入ったり、外部のアナウンススクールにも通ったりしながら、4年間アナウンサーになるための活動を続けていました。それでご縁があって、当社へ入社できました。

入社一年目を振り返って、どんな一年でした?

重盛

3ヶ月間の研修を経て、まずはラジオ番組で短いニュースを読むところからはじまりました。 それから徐々にラジオで長いニュースも読ませてもらったり、回数も増えてきたりするうちに、テレビ番組でも短い番組ナレーションなどをやらせてもらえるようになってきました。今は、それら以外にも、CMのナレーションやイベントの司会・ラジオの公開生放送など、多岐に渡った仕事をやらせていただいております。

仕事に慣れてくると、ご自分からこれをやりたいという希望も出したりされるのでしょうか?

重盛

自分自身が、学生時代に陸上(800m)をやっていたので、スポーツがやりたいです!というのは、入社以来ずっと言い続けていたんです。当社は毎年、鹿児島県地区対抗女子駅伝をやっているので、担当できたらいいなという気持ちもあって。そしたら、中継地点のレポートを1分間、やらせてもらえたんです。貴重な経験で、非常に有り難いことだと思っています。今後、高校野球など色んなスポーツをやっていきたいですね。

入社1年目で、特に思い出深かったお仕事は何でしょうか?

重盛

冠番組の『たけおの鹿児島全力たび!』をやらせていただいたことです。この番組は、鹿児島県の見知らぬ土地・人とノーアポで出会って、最終的にはその方のお宅にお泊りさせていただくまで頑張るという内容なのですが、これは大変でもあり、でも楽しくて、非常に思い出深い番組です。

 

どんなところが思い出深いですか?

重盛

第1話は枕崎市からはじめたのですが、ポンと放り出されて、『ハイ、誰かに話しかけて』っていう感じで始まったんですが、最初はとても緊張して(笑)。でもその土地のことに興味を持ち、そこでふれあう方々にも興味を持ってお話を聞いていくことで、次々と扉が開かれていくというのを途中から感じはじめました。そうしたら、枕崎市の回では、出会ったご夫婦の方に、『今日は息子として泊めてあげる』とおっしゃってくださいました。もう本当にうれしかったですね。

1年目にして、冠番組持たせてもらえるっていうのは凄いことですね!

重盛

実は、今年の3月末に、この『たけおの鹿児島全力たび!』を海外に売ろうということで、香港で開催された『香港フィルマート2015』という、テレビ番組や映画・ゲームなどの映像コンテンツを対象とした国際的な商談会に4日間参加させてもらったんです。自分が出ている番組を売るということと、英語が多少得意だった(※Synapse編集部注:TOEIC
940点)ということが理由だったと思うのですが、冠番組をやらせてもらえるだけでなく、そこでまたいろんなことを学ばせてもらって、そういう意味でも本当に有り難いことだと思っております。

その香港での4日間では、どんなことをお感じになったのでしょうか?

重盛

海外へ番組を売るという意味では、少し変えた方がいいこともあるのかもしれない、と感じました。具体的には、海外のバイヤーさんに『この番組は何なんだ?』というのを説明するのが非常に難しかったんです。海外の方々は『私はドキュメンタリーを探しています』とか『バラエティを探しています』など、求めているカテゴリーが非常に明確で分かりやすいんです。必然的に、こちらにも明確な説明を求められます。しかしながら、私は自社の番組の説明を求められても、どう返そうか悩んでしまったんですね。放送回ごとにドキュメンタリータッチの時もあれば、バラエティテイストの時もあったりするので、そのあたりをどう言えば伝わるかな?というのが難しくて。また、別のバイヤーさんに言われたのは『なんで日本の番組は、自分たちの地域を自慢する番組が多いんだ?』とも聞かれました。そう問われるまでは、自分自身、そこに疑問を感じたことはなかったのですが、海外に売っていこうとした時、ある程度そういうところを納得してもらえるような説明が必要なんだなということを感じて、何らかの分かり易さが番組に求められるのかなと感じました。香港人のバイヤーさんの話だと、日本の他局さんの番組もそのあたりで苦戦しているようでした。

そういうご経験を通して、重盛さんご自身はこれからどうやって会社に貢献していきたいと思われますか?

重盛

その見本市で、先ほどの話とはまた別のバイヤーさんに言われたことなのですが、番組に出演しているリポーターやコメンテーターのキャラクター性に惹かれて、番組を視聴される方も結構おられるそうなんです。その話を聞いたときに、私自身もこれから自分のキャラクターを明確に立てていくことで、私自身を見るために番組を見たいという人が出てきてくれるとうれしいな、ひいてはそれが番組販売につながり、また会社にも貢献できるんじゃないのかなというのは感じました。なので、これからどれくらいの時間がかかるかは分かりませんが、自分自身のキャラクターというのをきちんと立てていきたいなと思うようになりましたね。1年目でそういう貴重な経験をさせてもらえたことは非常に大きかったです。


社内探訪>>> ラジオ番組『城山スズメ』の生放送の様子



城山スズメは、1953年の南日本放送がラジオ南日本として開局した日にスタートした、60年以上続いている長寿ラジオ番組。毎週月~金曜で放送中。手前は、生放送で曲をオンエア中に、ポーズをとってくださる采野吉洋(うねの よしひろ)アナウンサー。右奥は、采野さんと共にパーソナリティをつとめる笹田 美樹(ささだ みき)さん。



テレビ番組「てゲてゲ」のリハの様子


月曜は、朝から「ズバッと!鹿児島」(9:55~10:20)の生放送が、午後は「かごしま4」(月~金16:00~16:53)、「MBCニューズナウ」(月~金:18:00~19:00)のオンエアおよびそのためのリハもあるため、「てゲてゲ」(毎週月曜19:00~19:55)のリハは、月曜の午後一からスタートする。

× 閉じる

[ 岩手めんこいテレビ ]

岩持 友也

IWAMOCHI YUYA

若手応援特集

東京支社 営業部
2013年入社

▼CLICK !

2013年入社。入社1年目から提案していたFacebookページでの企画「入社2年目、東京支社のさえない“もっちぃ”が東京で出会った~東京でがんばってるめんこい・イケメン岩手県人ファイルでがんす」を実現、現在連載中。

https://www.facebook.com/menkoitv
https://ja-jp.facebook.com/menkoitv/posts/832023463521119

※本社への取材記事はこちらから(Synapse vol5.に掲載)
http://www.videor.co.jp/synapse/local/005/01.html

もともとテレビ局志望だったんですか?

岩持

実はそういうわけじゃなかったんです。岩手の若者がすごい減っている中で、若者が帰ってきたいと思うような岩手にしたい!という思いがありました。そこで、岩手に一番影響与えられる仕事ってなんだろうなって考えた上での結論が、テレビ局でした。その中でも一番若者に影響を与えられるのは当社だと思いました。

大学では何を勉強されていたんですか?

岩持

地域政策学部というところで、地域活性化とかそういったことを勉強してました。高校ぐらいから岩手で仕事したいなって思っていたんです。岩手の人が好きで・・皆さん優しくて。やっと岩手の会社に就職が決まって、って思ったら東京支社配属(笑)。本社で研修している時から『東京という可能性もあるよ』とはいわれていたんですが・・。

どうして東京支社に配属されたのでしょうか?

岩持

たぶんなんですけど・・就活のときも『地元が好き』っていう部分をかなり推していたので、外を見たほうがいいってことなのかな、と思いました。ですので、東京でしかできないことに挑戦したいです。社外でもいろんなつながりを持っておけば、いつか岩手に帰ったときに役に立ちますよね。

今はどのような仕事をされているのですか。

岩持

スポットデスクという仕事をしています。例えば営業がクライアントから広告を●●万円の予算で○月まで出稿したいといわれたとします。私の仕事は、どこの番組のどの場所に広告を出稿するのかを決める仕事です。だから視聴率、結構見ています(笑)。

Facebookの「入社2年目、東京支社のさえない“もっちぃ”が東京で出会った~
東京でがんばってるめんこい岩手県人ファイルでがんす」を企画した背景はなんでしょうか?

岩持

若者は今みんなネットを見ています。それをテレビに引き込むためにはと考えて、それでFacebookがいいかなと思いました。それに岩手はサブカルがちょっとアツかったりするんです。知事がアニメの情報を公式Twitterでつぶやいて、若者に反響を呼んだりしていて・・。だから二次元の世界ではないけど、かわいい子やイケメンを取り上げたらウケるんじゃないかなって。僕も単純にかわいい子好きですし(笑)。

Facebook企画を始めたきっかけは?

岩持

当時の東京支社の上司に『こういうのどうですかね』っていったら、『やってみな!』ってなったんです。入社二年目から本格始動したんですが、実現したのにはとあるきっかけがあって・・。その上司が本社の編成部に異動になったんです。Facebookの統括もしているので、とんとん拍子で進みました。その上司がさらに上の人に話をしてくれていたみたいで、気づいたら『動くぞ』って言っていただいて。本当に感謝しています。

御社では、新しい企画の提案はしやすいんでしょうか?

岩持

すごくしやすいです。他社の同年代の人と話していても、『いいね、やらせてくれるんだね』といわれます。東京支社内に新渡戸稲造に心酔している人もいるんですが、番組企画を書きまくっていて実際に番組を作ったり。チャレンジしやすい雰囲気は確実にあると思います。

実際に取材はどのように進めるのでしょうか?

岩持

初回は上智大学のミスコンに参加している子だったんですけど、まったくツテがないので直接大学の総務に電話をして、ミスコンの事務局にまわって、そして本人にやっと・・みたいなちょっとした“たらいまわし”にもあったりします(笑)。他の方のときはFacebookを通じて依頼したり。取材も原稿を書くのも一人でやっています。

Facebookの文章は岩手弁バリバリですね

岩持

最初、私は敬語で原稿を書いていたんです。正直、地元のことばを使って振り切りたい気持ちはあったんですけど振り切れなくて。その原稿を上司に見せたら、『こんな感じでイケ!』と岩手なまりの原稿で返ってきて。『あっここまでやっていいんですね。』と。それを見て僕もうれしくて。本当はやりたかったので。

最終的には番組に?

岩持

まだ漠然としているんですけど・・・。Facebookの企画に出てくれた人だけを集めて番組をやりたいです。東京に出てきている岩手の若者と、ずっと岩手にいる若者が『東京と岩手どっちがいいのか』っていうのを話す番組とか・・。いわゆる“しゃべり場”みたいな感じか、バラエティっぽくやるのか。いずれにせよ、局の人間としてやはり番組に落とし込みたいです。

今後の目標、もしくは野望をお願いします。

岩持

当社での目標は、局のイメージを上げることです。僕は“めんこいテレビ”っていったら岩手の局の中で『楽しい』って思う世代だったので。今は視聴率的に苦しい部分もありますが、そういうイメージを取り戻すために挑戦し続けたいです。そして、岩手県に関しては、若い人が岩手に戻って元気にしていかないと!岩手を元気にしたい人たちを集めて飲み会とかもしたいですね。いろんな企画出し合ったり、アツく語り合いたいです(笑)。

× 閉じる

[ チューリップテレビ ]

谷口 菜月

TANIGUCHI NATSUKI

若手応援特集

報道制作局(アナウンサー)配属
担当番組 『ニュース6』(スポーツ担当) 『柴田理恵認定ゆるゆる富山遺産』
2014年4月1日入社

京極 優花

KYOGOKU YUKA

報道制作局配属 スポーツ担当
2014年4月1日入社

▼CLICK !

※本誌のチューリップテレビ取材記事はこちらから(Synapse vol5.に掲載)

http://www.videor.co.jp/synapse/local/005/02.html

最初の質問ですが、視聴率は気になりますか? 

京極

私は普通に気になります。

谷口

めっちゃ、気になります。

谷口さんはどのあたりが“めっちゃ”気になるのでしょう?

谷口

たとえば、自分が担当しているスポーツコーナーとか、どうだったかなって気になっちゃうんです。

京極

彼女は自分のところだけでなく、「昨日のこの企画コーナー、数字上がってたよ!」とか教えてくれたりするんですよ。本当によくデータを見てると思います。

作り手の立場で視聴率を日々見てると、いろんな気付きがあるんじゃないですか?

京極

よく同じ報道フロアでは、お米のネタをやると上がるって言ってますね。

谷口

富山は米の産地ですから。あと、難しいネタが続くと、やはり数字が悪くなっていくという意見はありますね。

京極

深夜は編成の新田さんにお色気番組をお任せして、日中はお米のネタでしょうか(笑)

谷口さん写真京極さん写真
谷口さん京極さん

視聴率以外に、こういう指標やデータがあったらいいのにな、というのありますか?

京極

録画視聴率でしょうか。当社で力を入れてる“柴田理恵認定 ゆるゆる富山遺産”は録画して、裏で放送していた水橋高校(富山県代表)のサッカー見よ!っていうツイートが沢山あったので、録画視聴率があったらいいなと思いますね。

谷口

あと、やっぱり視聴率になってしまうのですが、調査がない週は少し寂しいですね。それこそ、この前の“ゆるゆる富山遺産”も出ないし。当社の看板番組である“ゆるゆる富山遺産”の視聴率が見られないというのは寂しい。毎日、結果が出た方が励みになりますし、毎日見られた方がモチベーション保てます。毎日視聴率データ出して欲しいですね。

京極

でも、私は悔しくて、視聴率の結果を見られないかな。裏との兼ね合いで、負けてると...。

谷口

でも、こないだのラクビーの企画は上がってたよ。

京極

ねっ!?さっきも言いましたけど、いい時は彼女がこうやって教えてくれるんですよ、いつも。これから私ももっと数字を見るようにします!

谷口

一生懸命作って、深夜まで編集して、ってやってるのに視聴率で負けると、正直悔しいですよね。それが作り手の本音で、そういう意味で視聴率って、励みになります。結局、その数字を励みに汗水流して作った番組が放送されることで、結果的には県民というか、視聴者のみなさんにとってもいいんじゃないかなと思います。

テレビの一視聴者として、家ではどんな見方されてます?

京極

私はスポーツの担当なので、やはりスポーツ番組は見ておかなきゃなという感じです。インタビューではこういう聞き方するんだとか、こういう返し方するんだとか、こういう視点で取材するんだとか、そういうところを見てますね。

谷口

私は食リポものは結構見ますね。あと、マツコさんの出てる番組はよく見ます。マツコさんが食べるシーンって、本当においしそうに見えるんです。あー、もうコメントとかもいらないなぁ~って。マツコさんがチーズ食べているの見て、私、チーズにハマっちゃいました(笑)。

お二人は、これからどうやって会社に貢献しようとお考えですか?

谷口

はじめのうちは色々やって、なんでも出来るアナウンサーになりたいなと思いますね。制作でも出せて、報道でも出せてっていう。ニュースを読まなきゃいけない日もあれば、タレントさんとも絡まなきゃいけない日もあるなど、毎日やる仕事が違います。また、週末土日で取材が入ったりすると、朝から取材行って、お昼ニュース読んで、ハッピータイムのナレーション読んで、午後から取材行って、夕方ニュース読んで、そこからパブの原稿のナレーション入れたりとかがあったりして・・・。一日の中でもマルチに仕事をこなさなければいけないので、一年生だけど精神的にも鍛えられているんじゃないかと思います。慣れるまでは結構大変だなと感じてました。アナウンサーとしての一番の仕事はニュースを読むことだと思うんですけど、正直人手が足りないっていうのは会社としてもあって(苦笑)、パスを出そうと思っても受け手がいなかったとしても、自分で突破していけるように・・と思って。だから、個人の資質をあげることも大事だけど、色々こなしていけることも当社では大事なことだと思います。

京極

私は、受験とか成人式とかそういう若い人が対象のニュースを、若い感覚でとらえて、その温度感で伝えていけたらいいなとは思っています。あとは当社の記者は、時には自分でカメラまわして、自分で編集して、といろんなことをするので、他の人の業務内容、ひいてはその業務をしている人の気持ちも分かってコミュニケーションが円滑にできるっていうことはあると思います。私もそういう感覚を大事にして、他の人の気持ちを感じながら仕事できるようになりたいです。・・・って、えらそうなこと言ってますけど、私が現場で一番オドオドしてる自信がありますね(苦笑)。

難しい質問ですが、ローカル局が今後より良くなっていくために、どんなことが必要だと思いますか?

京極

うーーーん、なんだろう。でも、目新しい答えじゃなくて申し訳ないのですが、番組の作りにお金はかけられないのは分かっていることなので(苦笑)、地域住民に近いっていう我々の持っている資産をもっと追求していくっていうことかなと思います。例えば、当社だと『チューリップ戦隊6チャンジャー』っていう局のイメージCMがあって、私それ凄い好きなんですけど、あれくらいの近い距離感でいることはすごく大事なのかと思います。当社が「ちょっとやんちゃ」っていうイメージを目指しているのも好きです。現場でこんなんやっていいのか?ってなった時も、まあウチは「ちょっとやんちゃ」だからいいんじゃん?っていう。お高くとまってると、出来ないことだと思うんで。それは当社の話ですが、そういう独自性をそれぞれが発揮していくということかもしれないですね。

谷口

私の周りの人たちも、これは他局には出来ないだろって言いながらやっているんですよ。そういうの、私も好きです。お高くとまらないっていうのは大事で、一アナウンサーの立場から言うと、賢そうとか綺麗だとか、そういうことじゃなくて、親しみやすいアナウンサーになることが目標ですね。当社だったらそういう路線がいいと思います。そうやって各局が個性を出しあって、磨きあっていくっていうことかなと思いますね。

京極

谷口凄いんですよ。この前も選挙で、皆、恐縮してる中、谷口はえらい人たちにガンガン話しかけるんですよ。凄い!って思って。親しみやすさ抜群なんですよね。

谷口

当社は歴史が浅いからか、いろんな業種から来られた方が多くて、体育会系の上下関係はないように思います。そのお陰か、あまり年代の壁もない感じで、そういう社風も効いてるのかもしれませんね。

京極

こうやって話してるウチに、またこの会社が好きになってきました。(^^)

× 閉じる