テレビ番組で振り返る テレビが映してきたもの、 視聴者が見てきたもの

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テレビ番組で振り返る テレビが映してきたもの、 視聴者が見てきたもの

1989年1月7日の午後、記者会見で新たな元号"平成"が発表されました。その発表をテレビを通して知った人も多かったと思います。この章では、そこから現在までの30年間、テレビを取り巻く環境やテレビが映し出してきたものや視聴者が見てきたものを振り返ります。

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【視聴率】 【ACR/ex】

1.テレビを取り巻く環境の変化

多チャンネルで選択肢が増え、デジタル化でタイムシフトが増加

平成が始まった1989年1月、ケーブルテレビはありましたが、BS・CS放送は始まっておらず、人々が見ているのは地上波の番組が中心でした。その後、同年の6月1日にNHKのBSアナログ放送、1991年には民放初のBS放送WOWOW、1992年にはCSアナログ放送がそれぞれ放送を開始し、多チャンネル化が進みました。

一方、地上波でも民放局が少ない地区も多く、郵政省(現:総務省)が打ち出した「民放テレビ全国四波化」に基づき、1989年以降、新しい放送局が各地で開局し"平成新局"と呼ばれました。日本の民放テレビ局の数は、1988年は103局でしたが、1995年までに24局が開局し、現在と同じ127局になっています。

このように新たなチャンネルが増えたことで、視聴者にとってテレビでの選択肢はどんどん増えていきました。
1990年代後半になると様ざまなデジタル技術が進み、2000年にはBSデジタル放送が、2003年には地上デジタル放送が開始しました。それまでのアナログ放送は地上波・BSともに、一部地域※1を除き、2011年7月24日で終了しました。アナログテレビでテレビ放送が見られなくなると、人々のデジタルテレビへの買い替えが進みました。

デジタル化は、テレビ放送だけでなく、テレビ番組の録画機にも影響を及ぼします。1989年、家庭用VTRは関東地区で7割以上※2普及していました。当時のVTRは磁気テープをデッキに入れ、自分で局や時間帯を指定するものが中心です。磁気テープは2時間テープを3倍速で録画してやっと6時間分になるため、ドラマ好きの私は、テープの入れ替えを忘れて、録画できなかったことがたびたびありました。

しかし、デジタル技術が進化し、ハードディスクレコーダーが登場したことで、EPGから簡単に録画予約ができるようになり、またハードディスク容量も大きいため、何百もの番組が録画保存できるようになりました。複数チャンネルを数日間録画するいわゆる"全録機"の発売により、より多くの番組を録画できるようになり、後でゆっくり自分の好きな時に楽しむタイムシフト視聴が徐々に増え、定着していったのは言うまでもありません。

※1 岩手県・宮城県・福島県は、東日本大震災のため2012年3月まで延長
※2 ビデオリサーチ・関東地区・調査エリア内推定世帯数及び人口より

インターネットで動画を楽しむ時代に

デジタル技術の進歩はインターネットの普及にも貢献しました。1990年代後半は、パソコンでインターネットを利用する人が増えましたが、当時の通信料金は高額だったこともあり、深夜帯に料金が安くなるサービスが始まります。

それにより、23時以降のインターネット利用者が増えたため、深夜帯のテレビ視聴が減少したこともありました。その後、通信料金が定額化し、時間に囚われず、インターネットが楽しめるようになりました。同時期に利用者が増えた携帯電話でも、インターネットが利用できるようになり、この流れが2000年代後半のスマートフォンの登場につながっていきます。

インターネットが提供するサービスも、最初はテキストや静止画が中心でしたが、通信技術の進化で、動画を楽しめるようになりました。テレビ局でも、インターネットを利用した番組配信が始まり、その後、海外のHuluやNetflixなどの動画配信サービスが日本でもサービスを開始。現在では、関東の民放局が中心となってテレビ番組を無料配信するTVer、有料配信するParaviなども登場しています。

また、Amazonプライムは、インターネットショッピングの会員向けサービスに加え、動画や音楽なども配信する複合的なサービスを展開しています。
テレビ番組にとっては、テレビという固定の受像機でなくても見られる環境が増えたことになりますが、パソコンやスマートフォンの画面にはテレビ番組以外の様ざまなコンテンツがあり、視聴者にとっては、多様なコンテンツを、好きな時に、好きなデバイスで見られる環境になってきました。

ここでテレビとインターネットの利用の変化を確認しておきましょう。
自宅内でのテレビ、録画再生、インターネットのリーチ(1週間に15分以上利用した割合)と利用者における1週間の合計利用時間を、1週間の生活行動を調査し始めた2000年と2018年で比較すると、インターネット、録画再生は、リーチ、利用時間ともに増加しています。

特に、インターネットは、2000年に比べ、リーチ、利用時間ともに約3倍となっています。テレビはリーチ、利用時間ともにやや低下していますが、それでもリーチは約9割、利用時間は約23時間と多く、生活者にとって重要なメディアであり続けています【図表1】。

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2.視聴者の嗜好の変化、番組編成の変化

次に、テレビが映してきた番組の変化をみてみましょう。【図表2】は1989年10月期と2018年10月期の水曜日のレギュラー編成表です。だいぶ見た目が違いませんか?

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プライムタイムでは、1時間番組の増加、30分番組・長尺番組の減少

【図表3】で、1989年から10年おきに、10-12月クールの民放局19-23時レギュラー番組の放送分数別シェアをみると、1989年には30分番組と1時間番組がほぼ同数放送されていました。しかし、1999年になると、30分番組は約1/3に減少し、1時間番組が増えました。2018年では、1時間番組が全体の約7割を占め、30分番組は全体の3%と非常に少なくなりました。また、映画や2時間ドラマ、毎週異なる内容を放送する1時間半〜2時間のスペシャル枠なども減少しています。

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ドラマ・音楽・アニメ・映画の減少、 バラエティの増加

次に、民放番組のジャンル別の変化をみてみましょう。
視聴者の話題によくあがるドラマ番組は、1989年(以降すべて10月期)には長尺ドラマを含め32番組ありました。
ドラマは年々減少し、2018年には15番組となっています。サスペンスドラマの印象が強い長尺ドラマは、1989年には7番組ありましたが、現在では1番組となり、この番組も今年3月で終了と発表されています。また、1989年には6番組あった時代劇は、現在は番組がありません。

映画も1989年には5番組ありましたが、現在は、ドラマ、バラエティ、映画など、様ざまなジャンルを放送するスペシャル枠などに変わっており、映画専門の番組はなくなりました。
音楽番組は1989年には7番組あり、そのうち生放送が3番組でしたが、2018年は音楽番組は2番組に減りました。そのうち1本は、1986年開始の「ミュージックステーション」で、平成の音楽を最初から最後まで伝えてくれる番組になりそうです。

アニメ番組は30分枠が基本で、1989年には19時台に19番組あり、2局以上が同時に放送している時間帯もありましたが、その後、平日夕方や土日午前帯、深夜帯へ放送時間帯が変わり、プライムタイムでは、「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」の2番組だけになりました。
減少した番組に代わって増えたのはバラエティやクイズ、ゲームなどの娯楽番組や、情報・実用番組です。

1989年はクイズ番組が16本と多く、その他にコントバラエティやトークバラエティなどは多く放送されていました。現在はクイズ番組8本と減少し、その他のコントバラエティの番組はありません。最近は、タレントによる街やグルメを紹介するロケ番組や、日本を訪れる外国人・海外に住む日本人などを取り上げる番組、健康をテーマにした番組などが増えています。


テレビ編成の変化には、番組を作るテレビ局の事情もありますが、テレビを見ている視聴者の見方や好みも影響しています。例えば、プライムタイムのアニメの減少は、以前は家族一緒で見ていることが多かったのに対し、近年は子どもだけで視聴していたり、少子化の影響で多くの視聴者を獲得できなくなっているため、子どもが見てくれる時間帯に移動しています。また、時代劇も、好む視聴者が減ったことで、レギュラー枠はなくなってしまいました。

プロ野球中継の減少

レギュラー番組ではありませんが、1989年に多く放送されていた番組にプロ野球があります。関東地区では、巨人の公式戦はすべて地上波でテレビ放送されており、そのほとんどがナイター中継でした。しかし、巨人以外のチームのファンが増えたり、Jリーグが開幕したりとスポーツファンが多様化したことと、平日の夜に2時間のナイターを見られる視聴者が減ったことなどから、現在では地上波での放送は非常に少なくなりました。

【図表4】で1989年、1999年、2009年、2018年の年間の単発番組をNHK総合も含めた放送分数で比較してみましょう。レギュラー番組の変遷でも述べたように、19時?23時では、音楽、ドラマ、アニメ、映画の放送分数は減少しています。一方、生活や健康などの情報番組を含む教育・教養・実用、バラエティ(クイズ・ゲーム含む)は増加しています。スポーツは、ナイター中継は減少しましたが、年によってオリンピックやワールドカップなどの大型イベントがあるため、スポーツ全体としては減少はしていません。

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3.平成30年間を話題になった番組で振り返る

この30年間で視聴者が見てきた番組、話題になった番組を振り返ってみましょう。

テレビが伝えた新元号

新しい天皇の誕生や元号の変更は、テレビが放送を開始して初めての出来事でした。
私たち国民も天皇や元号が変わるとはどういうことなのか、テレビなどのメディアから知ることとなりました。

今年5月に新元号となるため、"平成"が決まった時の記者会見の映像を最近目にすることもありますが、当時としてはかなり衝撃的な出来事でした。また、昭和天皇崩御に伴い、民放局は1月7日から翌8日までCM抜きの特別編成となりました。2月24日の昭和天皇大喪の礼の日は学校・企業が休み、商店や娯楽施設も休業としたところが多かったため、関連番組が軒並み高視聴率を記録しています。多くの国民が天皇崩御に伴う儀式などを、テレビを通して体験したことになります。

ちなみに、当社が関東地区で視聴率調査を開始した1962年12月1日以降で、全日(6?24時)のHUT(総世帯視聴率)が最も高いのは、この1989年2月24日(金)と1972年2月28日(月)(連合赤軍浅間山荘事件)の62.8%でした。
視聴者の関心の高さがうかがえます。

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話題となったテレビ番組

視聴者が話題にするテレビ番組のジャンルにドラマがありますが、この30年間でも数々のヒットドラマが生まれました。
「ずっとあなたが好きだった」(出演:賀来千香子・佐野史郎)の"冬彦さん"、「家なき子」(同:安達祐実)の"同情するなら金をくれ"など流行語を生みだすドラマも生まれました。また、全放送回が30%を超えた「HERO」(同:木村拓哉・松たか子)、40%を超える高視聴率で話題となった「ビューティフルライフ」(同:木村拓哉・常盤貴子)、「家政婦のミタ」(同:松嶋菜々子・長谷川博己)、「半沢直樹」(同:堺雅人・香川照之)などもありました。

バラエティも多数の番組が放送されましたが、1982年(昭和57年)に放送開始の「笑っていいとも!」は、2014年3月の終了まで平成の大半の期間に放送された番組で、平日お昼に視聴者を楽しませてくれました。

大災害と事件

1995年1月17日早朝、兵庫県淡路島沖を震源とし、最大震度7を記録した阪神淡路大震災が起こりました。関東でも揺れを感じテレビをつけると、火事が発生したり、高速道路が倒れている様子が映っていました。テレビが伝える地震の影響は非常に生々しく、とても恐怖を覚えた記憶があります。
その年の3月20日朝、東京で地下鉄サリン事件が発生します。最初は、事態が全くわからず、異臭で具合が悪くなった乗客の様子がテレビに映し出されました。その後、サリンが散布されたことがわかり、死者・負傷者が多数出たことを報道で知ることになります。その後、その年の夏ごろまで、事件を起こしたオウム真理教は様ざまなテレビ番組で取り上げられることになりました。

そして、2011年3月11日午後、宮城県沖を震源とし、最大震度7を記録した東日本大震災が発生しました。巨大津波、地震の揺れによる建物の倒壊や液状化現象、福島原子力発電所での事故など、被害は青森県から関東地区まで広いエリアに及びました。テレビでは各局が被害の様子を中継しましたが、被害が甚大なことから、民放局は数日に渡りCMを自粛、娯楽系の番組も休止としました。
テレビというものは、事件や災害の様子を、離れた場所にいる視聴者にも生々しく伝えますが、それは真実を映し出す、報道としての使命を果たすことに他なりません。

スポーツ競技・日本人選手の活躍

1991年5月場所で、西前頭貴花田(後の貴乃花)が横綱・千代の富士を倒し、翌年の初場所で幕内最年少優勝を記録、後に兄の若乃花とともに兄弟横綱となり、若貴ブームが起こりました。
1993年に設立されたJリーグは、テレビでも試合中継され、サッカーファンが増加、ワールドカップへの出場の期待も高まりました。1993年10月28日に行われた「サッカーW杯アジア最終予選最終戦・日本×イラク」は2-2の引き分けで終了、日本が出場権を逃した、いわゆる"ドーハの悲劇"です。

次の1998年ワールドカップから、日本代表は本選に出場できるようになり、日本戦は高視聴率を記録するようになりました。2002年のワールドカップは日本と韓国の共同開催となり、6月9日に行われた日本×ロシア戦は66.1%の高視聴率として記録に残っています。
その他、野球の国際大会「World Baseball Classic」や、オリンピック、プロボクシングなど、日本人選手が活躍する競技に視聴者の関心が集まっています。

"テレビ"という言葉の意味は?

このパートでは"テレビ"という言葉を多用しています。平成初期は、"テレビを見る"といえば、受像機に映る番組を見ていることを指していました。しかし最近は、単に"テレビを見る"といっても、テレビ受像機にもテレビ放送以外のコンテンツが映るようになり、テレビコンテンツもインターネットの配信で見ることもできるようになりました。そのシーンによって、"テレビ"という言葉は、ハードとしてのテレビ、コンテンツとしてのテレビ、作り手・送り手としてのテレビと意味が異なるようになっています。

今回の企画で、改めて平成の30年間を様ざまな角度から振り返り、楽しかった番組、ドキドキした番組、感動した番組のなんと沢山あったことかと懐かしく思いました。そして、テレビの"速報性""娯楽性""共感性"といった特徴や魅力を再認識しました。平成の次の時代に、さらに"テレビ"という言葉の意味は、変化をしていくのかもしれませんが、いつまでも、私たちを楽しませてくれるテレビであり続けてほしいと願っています。

ソリューション局テレビ・メディアソリューション部 中奥美紀

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